ドッペル原画展

麻痺

 

赤い線が道に延びていくのが見えた。その線は川に沿ってうねり、途中で枝分かれしながら何処までも進み続けた。まるで体中に流れる血管であるかの様に思え、私が私の体の内部に入り込んでしまったのを想像した。見えない位に小さくなってこっそり体に入り込めたら。その時、寂しさはどの程度に収まるのだろうか。どの程度で済んでくれる寂しさなのだろうか。あるいは、私は何も感じないかもしれない。大きく暗い体に包まれ、安堵するかもしれない。「クジラに食べられたい」という歌詞の音楽があったが、今ならその気持ちも分かる。どうしようもない暗闇の中で私は寂しさを感じることができない。私の寂しさは私自身が感じているというより、寂しさ自体が意志を持ち、最大限にその性質を発揮しようと蠢いてるように思えるのだ。寂しさが無理やり寂しさを作り出そうとしている。つまり、私はそこまで不感症になってしまったのだ。不感症で、使い物にならない心が、首からぶら下がっている。そして時々延命治療の如く景色を撮るのだ。周囲の木々や小石、車やビルですら使い物にならない臓器に思えた。

でもこれらの妄想はあながち現実的であり、間違っていない。私は私の内部に生き、いつも閉じられているのだから。そして何も機能しない、使い物にならない物質に囲まれている。doing nothing is doing ill(何もしないことは悪事をしていることになる)を座右の銘にしたばかりなのに、こんな状況はとても悲しい気持ちだ。だけど少しだけ幸せにも感じる。

光、と題して景色を撮った。赤い線は夕日の光であったらしく、あまりにも眩しかった。写真展が近いのに最近は全く写真を撮っていなかった。というよりも気付いたら撮っていなかった、というのが正しい。代わりにスマートフォンで適当な写真を撮ってインターネットに公開している。世間の皆さんはこの程度の写真で足りるのだ。改めて、写真展が近い。左目の痙攣が止まらない。使い物にならない指先は瞼を強くこすり柔らかな球体を潰そうとしている。使い物にならない心が次第に重く、首から下げておくのもうんざりしている。この重さで首が吊られてしまう気がした。地下鉄に揺られている中そんな感覚がして、眩暈、座り込んだ先に捨てられたタピオカ屋のプラスチックゴミ。

タピオカ入りのミルクティーを飲み気分が少しばかり回復した。紀伊國屋書店で心理学の本を立ち読みしたのだが、歪んだ人間は自分が見たくもない情報や見るべきではない情報をあえて選択してしまうらしい。インターネットなどを見る時、きっと指先が言うことを聞かないのだろう。この知見は本屋で立ち読みなんて本当はしていない私自身の持論か、それとも心理学的に証明された本当の話かどちらだろうか。少なくとも私は見るべきではない情報をあえて目にする行為を何度も繰り返してきた。繰り返しすぎて壊れてしまった。だからもう我慢はしないことにしたのだ。これ以上壊れる隙が無い。入った喫茶店には不快な音楽が流れていたので、コーヒーとモンブランを注文したもののそれが来るのを待たずに店を出た。これは犯罪になるのか?でももう我慢はしないと決めたのだ。家に帰ると途端に首からぶら下げた心が重く、机の上に置き金槌で滅茶苦茶に壊した。息を思い切り止めながら、破壊した、粉々になるまで叩いた、私は今日生きていた中で一番笑顔だった。夕日の眩しさを見たときよりも、タピオカミルクティーを飲んだときよりも、ずっとずっと嬉しかった。興奮のあまり、何故か汗すらかかなかった。指先が冷え、口内は乾き、下半身に力が入らなかった。シャワーも浴びずに横になった。このベッドも愈々不快だ。私は砂浜で眠れば良いのか?頭の中がいつも疑問で一杯になっている。声にならず、自分の外側に出ない疑問ばかりが頭の中で飛び交っている。全て、終わってくれないか?早く楽になりたい。中々寝付けないが、砂浜で眠れば良いのか?不快なベッドはあのシーンのせいだろうか?不潔な布と不潔な猫を思い出すと私は眠れなくなるが、結局眠れているのが事実。

あれ、眠れている、と思った時、知った顔の人間が何人か集まっていて、私の席あたりでなにやら騒いでいる。その騒ぎは私が騒ぎに気付くずっと前から起こっていたことであろう。いつもそうなのだ。私は、私が知らないうちに始まった出来事に出遅れ、途中参加を強いられる。始まりを知ることなく、大体が終わっている状態で与えられる。終わりばかりが与えられる人生を生きると、どういう気持ちになるか想像できるだろうか?既に起こってしまっていたのに知る機会を逃した何かへの恐怖。自分の純粋すぎるほどの無知さが悔しく、恥ずかしく、どうしようもなくて、終いには「なんておめでたいんだろう!」と呑気な無知を祝福すらしてしまう、自分だけが死の危険を知らされていない様な恐怖。ああ、これは恐怖を象徴した夢だ、と今分かった。騒ぎの輪の中を覗くと、やはりそこには私が死んでいる。こうやって死が既に起こってしまっているのに、それを知らないまま生きるのはあまりにも呑気すぎるのではないか。騒ぎを知る前から、ずっとずっと前から、私は既に死んでいたのだろう。この騒ぎはもうずっとずっと昔に始まり、ずっと前に完結していたのだ。私以外の人間が私より先に私の死を知っている不愉快さと恐怖。騒いでいた人間達は遅れて出てきた私に怯え、何処かへ消える。一人になった私は私の死体と対峙した。結局そして、それを放置したまま帰ってきた。明日になれば誰かが処理してくれるだろうなと思ったから。そして湯船に浸かった。暖かくなった体を丸め、夢の中で夢を見た。最も、明日なんてどうでもいい。今より先に興味が持てなくなった。と思いながら深い眠りについた。そして突然目が醒める。

 

「本当にびっくりしたのよ、あなた夜中に突然起き上がってどこかにいくから」と顔をレースで覆った女が言った。「しばらく見惚れていたらタオルケットを持って浴室へ行ったの。浴室で寝たかったのね」と顔をDiorのシルクスカーフで覆った女が言った。

私は素直に、は?ふざけるな、と思った。ベッド以外の場所で寝たい訳ないだろう。どうして声をかけてくれなかったのだろう。「あなた砂浜で寝たほうがいいのよ」私は何故ここで「砂浜」という単語が出てくるのかさっぱり理解出来なかった。

起きると私は水の無い浴室の中に居た。そして知らない二人の女が居た。彼女達は私の為に朝食を用意した。破壊した心は無花果と一緒にお皿の上に盛り付けられており、とても綺麗に見えた。

 

最近読んだ本

秘密 谷崎潤一郎 秘密なんて大したことない

谷崎潤一郎 バイ×寝取り×薬=死

恐怖 谷崎潤一郎 パニック障害

神神の微笑 芥川龍之介 神話

遺書 芥川龍之介 作者の遺言的なもの

魔術 芥川龍之介 構成がすごい 小説内で夢を見る

芥川龍之介 秋の寂しさ 姉妹間での恋愛のもつれ

犯人 太宰治 思い込みで自殺 恋愛の狂おしさ

皮膚と心 太宰治 女性の自尊心 嫉妬の発生要因

あさましきもの 太宰治 作者が思うあさましさ羅列

正義と微笑 太宰治 少年の日記 葛藤と素直さ

恐ろしき錯誤 江戸川乱歩 復讐を失敗して狂う

夢遊病者の死 江戸川乱歩 夢遊病者が勘違い

D坂の殺人事件 江戸川乱歩 SMに則った殺人だった

湖畔亭事件 江戸川乱歩 覗き見 本当の犯人が曖昧

 

どれも面白かった。

 

 

 

 

無害

12時半を境目にして腕時計の針は動かなくなった。今まで動いていたものが急に動かなくなるのは人の死と似ている。寂しさを覚えるのは、確かに時計が動いていた過去があるにも関わらず、それが今後一切再開されないと確定してしまったからだろう。意味の有ったはずのものが、意味の無いものになる。可能性を持っていた物が、ただの残滓になる。私達も少しずつあらゆる可能性を減らし続けているのだ。咳払いをわざとした。呼吸を止めていることに耐えられなくなったのだ。「時計が壊れちゃったみたい」と言うと、彼女は「時計?」と言った。もしや時計が何なのか分からないのか。まるで彼女の世界には初めから時計が存在していないような表情をしている。彼女のその表情に言葉を奪われた喪失感を感じながら、今とは全く関係の無い過去を反芻している。「この前食べたパンが犬のしっぽみたいに美味しくなった」私は会話がややこしくなる予感がすると即座に別の話題に意識を逸らそうとする癖がある。「時計?犬のしっぽ?」もしや、犬のしっぽが何なのか分からないのか。「うん、そうなの。ところで私達は誰を待っているんだっけ?」肝心な問を投げたが彼女はそれを無視し、鞄から取り出したCDプレーヤーで何かしらの音を聴き始めたようだった。

私は読書を始めた。

早く代わりの時計を出してください!

偶然か必然か、読みかけの小説の中でも時計が壊れている。それだけではなく、反芻の中に在る小さな部屋の壁掛け時計も時間が大幅に進んでいたのを思い出した。私は世界が今何時か分からないことより、身の回りの時間が混乱している事実に不快感を覚えた。混乱は人を不安にさせ、幾重にも不快感を重ね続ける。まるで地下へ続く変形したらせん階段の様に、渦巻きながらより深いところへ落ちて行くのだ。この不安の原因は彼女の無知に対する怒りだろうか。あるいは、昔見たあの男の顔が忘れられない故のものなのだろうか。

こうしてあの男について考える度一つの疑念が浮かび上がってくる。それは《あの男はあの時もう既に死んでしまっていたのではないだろうか》ということだった。あまりにも覇気の無い男が手ぶらでのっそりと立ち、駅のホームへ続くエスカレーターの横から私をじっと見ていたあの情景が、どうも現実に起こった事とは思えないからだ。現実に居なかったはずの人間を見てしまった感覚、既に死んでしまった人を見てしまった感覚、そういうものは人を不安にさせる。男は夏なのに分厚い茶色のセーターを身に纏い、顔は青白く、瞼の幅が広かった。幅の広い瞼は瞬きをほぼせず、曲線で描けそうな黒々しい髪の毛と痩せた体は着物と下駄を連想させた。その季節感の無い見かけと西洋画に描かれそうな顔つきは異様であり、駅には何の用事も無い人に感じられた。つまり、これから電車に乗って何処かへ行く様な雰囲気が感じられなかったのだ。まるでこれから死のうとしているような、もしくは誰かを殺そうとしているような、その類の、人生を左右させる決意をした後の静けさを持っている様に見えた。細くて長い指で胸元から果物ナイフをゆっくり取り出し、背後から女の首元を切りつける。その後凶器になったナイフで自身の手首を切り入水する。背後から切りつけられるのが私だ。死体となった私は入水する彼と視線を重ねている。とても長く。

重なった視線を解くと私は生き、歩いていた。所詮妄想に過ぎない。彼の存在もナイフも。改札口へ続く下りエスカレーターが急降下している。どこまでも深く地下へ潜り混んでいく落とし穴だ。らせん階段みたいにうねり始めるエスカレーターが怖くなり、私は躓き、清潔な布の上に倒れ込んだ。ひんやりしていた。蝉の声が聞こえ、空耳を恥じた。涼しい風が吹いているが瞼の裏には風が来ない。風を探して手を伸ばすと、私は丁度臍の辺りで2つに分かれた。上半身と下半身になった私達はお互いの距離を伸ばし、離れ、風を探し、何も掴めなかった。代わりに掴んだのは無機質な鉄で出来たベッドの骨組みだった。そうだ、ここは病室だった。彼女はベッドの横に座り、私の顔を静かに眺めている。「おはよう」と彼女が言うと、あの男について考えたのが悪いことの様に思えた。彼女の存在を無視し、寂しくさせたのではないかと思ったのだ。寂しさ。それに共感しようとすると、心臓が一度跳ね上がり、収縮した。私達の間には誰か他人が必要だ。待ち合わせの人はまだ来ないのだろうか?手首から上に伸びる細い管の様な腕時計はいつまでも時間を刻むこともない。いつの間にか私は眠ってしまっていたようであった。

「誰か来たの?」と私が聞くと、彼女は「貴方をこんな風にした人が来たよ」と言った。こんな風に?と思い聞こうとしたが、私が声を発するより先に彼女が「今日は久しぶりに外に出られるから、海にでも行こう」と言ったので、海へ向かうことになった。今何時なのか知りたくなる。暗い時間に帰ると犬に吠えられ犯されるからだ。「今はまだ午後3時だよ。大丈夫、安心して。」彼女はよく見ると、彼、だった。

夏の暑さは室内にいると感じられない狂気である。だから私は狂気的な暑さですら少し嬉しく思った。慣れない人混みに恐怖を感じ、痛み無く心臓が押しつぶされる感覚に陥る。満員電車に乗りこみ、何駅か過ぎた所で滴る汗を彼が優しく拭いてくれた。「あつい?」と言う彼の声は何故かとても柔らかく、その柔らかさは私に媚びるようだったので恥ずかしくなり、わざとらしく窓の外を眺めた。途端に爆発の様な音が聞こえ、黒い川の上に3つの光の輪が浮かび上がってきた。「花火だね」と彼が言ったので、私は実質的に彼と花火大会に参加できたのだと思った。浴衣を着て川沿いで見る花火よりもずっと特別な事だった。偶然の花火は神様から私達へのささやかな祝福のように感じられたのだ。

まだ私にも神の影が少しでもあるのかと思うと、これからいつかは絶対に死ぬのが嘘みたいに思える。こんなに生かされてるのに、死ぬなんて。絶対的に死ぬなんて、そんなのあり得ないでしょう。

「死ぬことなんて非現実だよね」

「非現実?そんなこともないね。現に君は一度現実の中で死のうとしたんだ」

いつもの動画を見せてあげるよ、と彼が心底嬉しそうにiPhoneを取り出した。君が狂うと可愛いんだ。胸元から出したナイフで手首を切っている映像で、細部は見れば解ると思うけど、僕はこれを見て何度も興奮したよ。

「海辺でじっくり鑑賞しよう」そこに墓もあるんだ。海辺の墓がある。彼がそう言って電車から一緒に降りた時、向かい側のホームにあの男が立っていた。久しぶりに本物を見た。着物と下駄を身に纏い、屋根のついた駅のホームで傘をさしていた。茶色のセーターではないのか、と思ったが着物は涼しげで良かった。私と彼の丁度真ん中あたりの空間をうつろに眺めるその顔は、あの男は太宰治だ、と気付いた時、私は冷えた海辺で彼に殴られながら愛されていた。自分の瞼が水気を持って開くのを感じ、目が合った彼の寂しさに共感した。

氾濫

 

 

新宿GUCCIの前で歌舞伎町のホストに話しかけられたことをきっかけにして、私はクリープハイプ尾崎世界観になれることを確信した。ここではない世界や今の自分と違う価値観を武器にして、堕ちるところまで堕ちていける予感がしたのだ。今から抜け出して違う世界に行きたい気持ちが私を焦らせる度、簡単に行ける世界にどうしても目が眩んでしまう。綺麗で素晴らしいところに行くには、余裕が全く足りないのだ。これから先も自分の世界と交わらない場所で、似非サブカル作家が地下アイドルについて純文学を書き上げる中、私はノルウェイの森を写生している。やれやれ、の言葉が出ると微笑する。私は失敗をした。自分の世界と交わらなかったはずの人間と関わることで行ってはいけない町が増えた、見てはいけない文字が増えた、読めない小説が増えた、言えない言葉が増えた。素直に笑えなくなった。出てこられなくなったそれらは心のなかで大きな影になり、一番大切な感情を隠している。光が欲しい、川谷絵音ベッキーが結婚する光を望んでいる。その他の光、私を照らす光は、終わりや終演といった最後を感じさせるものに近い。それは月光のようなものであり、暗闇で暗さを引き立てる様にぼんやりと存在している。私は時折成功もした。交わるべき人と関わる運命を体験した。それなのに、運命と交わるとどうでもいい他人が付いてくる。私だけの運命が他人との運命を孕んでるという事実が果てしなく気持ち悪い。私は人間関係に潔癖だったのに、汚物が入ってきたことで成功は全て失敗になった。でもそれは大したことない失敗だった。大して深くもない穏やかな失敗の中に長居しすぎて抜け出せなくなっている。穏やかに時間が流れる空気の少ない場所に、その失敗と一緒に居るのが一番居心地良くなっているのだ。居心地が良いというより、そこに居ないと許されないのではないかと思ってしまう。私は精神的な被虐願望があるのかもしれない。いつまでも失敗のことを考えている。考えた結果分かるのは失敗した原因の殆どは汚れであるということだ。頭や呼吸がぐるぐるして汚いものに思考が汚されていくのを、必死で耐えなければならない。他人が撒き散らしている汚物に触れて、純粋な自分を偽物だと律し、汚いものを事実として自分の眼で真っ向から対峙しながら耐えなければならない。そうやって習慣的に、浮足立つ気持ちをマイナスに持っていかないとバランスが取れないのだ。その行為自体がもう癖になってる。それが生きるということで、それが「大人」なのだということもはっきり分かった。汚いものと対峙することで本当に綺麗な物を認識できるようになるのではないか?むしろ人生の殆どは汚物で、その中にたった一つだけ、あるいは死ぬ間際のたった一瞬だけが綺麗であるというのが当たり前なのではないか?うんざりする、未来が無い、私にはそのたった一つや一種ですら感じる心が無い。全部誰かのせいだ。心の重さで少しずつ沈んで行くのが分かる。それでも私は汚いものをこの眼で見て、自分を殺す真実を知って、それを物語にしたいのだ。自分を律する方法がそれしかないのだから。

ちなみにこれらの文章は全て思いついたまま頭の中にある独り言をそのままに書いている。私は普段電車の中や食事中や他人と話している時でさえ、こういった類の気持ちで頭がいっぱいなのだ。頭の中から気持ちがとんでもない速さで氾濫し、早口みたいな言葉になっている。頭が詰まっていて、いつも空っぽに、クリアにしたいと思っている。

摂食障害者にブログを読まれてるかもしれない。吐き気がする。存在するだけで人を傷付け、世界に対する感性を歪ませるような迷惑な人間にだけはなりたくない。大抵そういう人間は汚い。よく生きていられるなと感心する。私だったら心が重すぎてどうも生きられない。可哀想。

 

 

 

 

 

日記

 

 

 

関わる人間全てが嫌いなあの人の顔に似てきている。

特に「醜い物」は全部あの人になっている。似ている人や物に対する私の対応は酷いものだ。ただ似ているというだけなのに、嫌いなあの人との区別を付けられず、好ましくない態度を取ってしまうという終わりの精神なのだ。このままだと全ての人間がそれになってしまう。怖いけどどうする事も出来ないし、そうなってしまう事を誰にも止める事が出来ない。私はそのうち嫌いな人に囲まれ、目を向ける場所も無くなり、そして何処にも行かない。息苦しくない範囲は自分より内側だけになるだろう。

何の目標も無く生き続けているが、少しの失敗も許せないため、走っている。失敗を許せずに走った私を早く忘れて欲しいと思う、早く全員私の奇怪な行為や表情、言葉を忘れてほしい。存在を忘れてほしい。注目されたくない、何も聞かれたくない、全部偽物だから、何か聞かれると表情が強張る。

 

私には生き霊や怨霊が憑いているらしく、この間知らない女に読経を唱えられた。電車に乗っていると聴いていた音楽越しに人の話し声の様なものが聞こえ、周囲を見渡すと目の前に居た女の月目が私を見つめていた。女の口は笑っている時の口の開きで、口内で唱えられた読経が能面みたいに張り付いた顔の向こう側から出てきている様だった。女は突然諦めたように首を擡げ、そしてすぐに背筋を伸ばし、もう一度私に笑いかけながらぶつぶつと読経を唱えた。唱えられた私は怖くなり、そしてその怖さを回避する為にお祓いをしてくれてありがとう、という感謝の気持ちをあえて抱いたのだった。一番怖いのは生き霊でも怨霊でもなく、その読経が私の幻聴だった場合である。

 

なんか動きがないとか言われたけど、それって小説なんだから当たり前じゃないのか。

 

正直私は何も考えてない。

本当に心底どうでもいいことを、あたかも一番大事なことのように思うことが出来る どうでもいいことをどうでもよくないことだ思い込むのではなく、どうでもいいことと頭ではっきり解りながら一番大事なことのふりをして、そのふりをしている自分を見て嫌な気分になっている そして、私は嫌な気分から自力で抜け出す力が無いから、本当は心底どうでもいいことでも、そのことに対して本気で悩み、本気で泣いて、本気で死ぬことだってできる 頭では意味の無いことだと解ってるくせに本気で悩んでみたりする自分に永遠苦しめられる その状態は私を酷く嫌な気分にさせるから、私はそこから抜け出すのが難しいのだ どうしてわざわざ嫌な思いをしたがるのか、どうしてわざわざ辛い思いを選ぶのか、そうしないとバランスがとれないからだ 楽しい思いや良い思いをした後は必ず自分を戒めて清めないと気持ちが浮ついて体が宙に浮いてしまいそうになる 辛い思いを思い出して気持ちを元に戻そう、私嫌な気持ちから抜け出す為に環境を変えたりは決してしない 痛みの伴わない環境の変化は今まで一度だって無かった 二度と行けない場所、二度と見られない風景、漢字、ゲーム、今我慢して辛い思いを乗り越えたらその後に美しい生活が待っている?乗り越えたくない 早く自分は諦めればいい、早く自分は消えればいい、早く早く、という気持ちだけが本物だとしたら、私は一体何を考えてるんだろう 

 

なんで生きてるのか分からない人間ばっかりだ。

なんで生きてるんですか?

人を平気で傷つけたのに、気持ち悪いのに、なんで生きてるのか分からない

何故平気でInstagramとかできるんですか?

皆さんにInstagramTwitterをやる資格ってあるんですか? 

どうして生きてるんですか?

 

 

レディオヘッドのparanoidAndroidいい曲だな

でも車内で聴くと大抵良くない

一人で聴くのが一番 

どうでもいいことなんて1つも無い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天国


どうやって予定時刻より早く帰ろうか考えていた。帰宅予定時刻は21時半だったが、21時には帰りたかった。こういう時、何故我々は時間に縛られ時間に従い時間と共に過ごしているのかその起源にまで不信感を募らせ、最終的に私の頭には「(時間が消えれば)待ち合わせくらい一年遅れても誰も本当の意味で怒ることはない」という仮説が浮かぶ。時間が消えれば待ち合わせが出来なくなる可能性があるが、時間が消えれば待ち合わせなんて一年程度遅れてもそれが長い期間なのか短い期間なのか分からないのだから。いつか会える人間が存在する。それが一年後だとしても、あと100回分のお昼寝を経た後でも、いつか会う約束をしたなら、その事実だけで明日を生きていける様な世界が良いと思う。だから帰りますね。時間を気にしている時間は無いので、先に帰らせて頂きます。と思い、帰ろうとした瞬間に嫌な音をたてながら電話が鳴った。

受けた電話の向こうにいる人の話し方が怖かった。呂律のまわらない、声、笑いのない、奇妙な間、そして女はもごもごと声を発しながら、徐々に言葉をはっきりと言うようになった。彼女は要約するとこの様なことを私に話した。「不条理とか無いと思うんですよ。何1つ悪いことをしていないのに脱線事故で死ぬとか、地下鉄サリン事件で死ぬとか、通り魔に刺されるとか、そんなことありえるんですかね?人は神様に殺されるんですよ。キリスト信者は誰も不条理なんて信じませんよ。だから、貴方が不幸なのは、貴方自身の問題です。例えば、貴方と同じ境遇にいる人間が貴方と同じ類の不幸を背負う事も、貴方と同じ類の幸せを注がれる事も、有り得ないですよ。でもね、僕らの言うことを聞けば、貴方がどれだけ罪を侵しても、神様から守ってみせますよ。」

まず、あなたは男性だったのですね。ということである。あるいはこの電話をしているのは女性であるが、団体の幹部が男性である為、あえて"僕ら"と言っているのかもしれない。私は色々言いたいことがあったが「不条理は無い」という意見に概ね賛成であった為、あなた方の言うことを聞きます。と答えてしまった。そうすると、女は鼓膜が破れそうな程大きな声で「怖い!」と叫び、電話を切った。大きな音を立て、受話器はあるべき場所に戻された。

もう21時半を過ぎていた。普通に生きているだけなのに、何故こんなに傷つけられるのか分からなくなってしまう。しかし、変な電話が来るのも私自身の問題で、不条理でもなんでも無いことだった。私があの時に侵した小さな罪が、今この電話と女の言葉によって返ってきただけの話なのだ。この先も普通に存在しているだけなのに、他人に刺され、言葉で、行動で、深く傷つけられるのは、私が過去にした行いがそれによって返される行為に過ぎないと思った。この様な罪の返報は、あらゆる人間に起こる出来事なのである。何の防御もなく、世界に柔らかいまま曝されるという孤独だけが、全員に平等に与えられ、初めから決められた不幸だからだ。私達は永遠に守られることは無い。それでも自分の柔らかさというものを、自力で無くしていくことは出来るだろう。それは、柔らかいものに何かを重ね付けて、守るように防御するのではない。柔らかいものを自力で剥いで、その中にある芯のような、固い部分だけを残すのである。それが私の、他人に傷つけられる程人間は強くなれるという事象のイメージだった。昨晩、他人に傷つけられたせいで少し剥げてしまった柔らかさに自ら手をかけ、完全に剥いでしまおうと思った。しかし、芯に届くまではまだ少しかかる様だった。

柔らかさを損う夜を何度も繰り返し、命が完全に固くなったら天国に行きたい。自分が心を許した人間のみと寂れたイオンでかくれんぼをしているような。人間達の姿は永遠に見つけられない。其処に居ることだけが分かっていて、永遠に目は合わせられない。天国ってそんな場所だと思う。これは私が考えている、時間の無い世界と似ている点である。居るのが分かっているのに会えない、約束はしているのにいつ会えるのか分からない。私はそういう世界が好きなのである。あと12回傷つけられたら天国に行きたい。一生会えない大切な人達の存在だけを持っていき、寂れたイオンで永遠にかくれんぼをする。でも、実際は一人きりでかくれんぼをすることになると思う。そして私は予想もしなかった場所で、間違えてしまったかのように他者を見つけてしまうだろう。その人は最初から隠れるつもりなどなく、そもそも私とは異なる設定の天国に居た誰かである。そうやって他者の天国と自分の天国が混ざり合うその境界だけを求め、そこに留まり続けたいと密かに考えている。その他者こそが、一番大切な存在であってほしいと願うばかりだ。住む世界が違っても会える他者だけが、私に必要な誰かになる。

住む世界が違う人なんて何を考えているのか分からないですね。と問いかけると、自慢気に、何も考えていないし何かを考えながら生きている人なんて居るのかなあ?と言われる妄想をしていた。誰かが私にそう言いながら自身の柔らかさを欠いた瞬間を、作品として見たような気がした。まるでそれは不自然な死体のようだった。死んでいるのに、生きていて、生きているのに死んでいた。不自然に歪んだ「同じ記憶(内容)」が100回程度繰り返され、そのどれもが「違う文章」で描かれていたのだ。それは苦しみに執着する底の無い狂気であった。私は、怖いと思い、あの電話の女性のように、叫べそうな気がしていた。そしてその恐怖は現実世界に居る他人の名前になり、ずっと私の頭の中に、心臓の中に、留まり続ける事になったらしい。その恐怖がいつの間にか、TVに浮かぶ人間の名前の中に消えていったりすれば良いのに、と思う。知らない名前の中学生が死にそうになっていたが、私の他人であった。私の頭や心臓から離れない「執着する恐怖」が、彼女の名前に塗り替えられてしまえば良いのではないだろうか?と思ったのだ。

 

「時々、他人の多数が、社会の一つに見える事がある。傷付けられた他者は別の人であっても、同一の人間に傷つけられる様な、、、そういう感覚がある。大きくて恐ろしい存在がずっと側にいる。その存在は私以外の他者全員が含まれていて、バイト先で嫌な事を言われて傷ついた事も、幼い頃親に言われた酷い言葉も、全てがその大きな存在から、同じ所から、向けられた凶器に感じる。だから、本当はその大きい存在からたった一人だけを引っ張る事がずっとしたくて、そうするにはまず大きい存在の中がどうなっているのか探る必要があるから、私はずっと線路の上で待っている事にした。でも待っていたら大きな恐怖が目の前から迫ってきて、だから急いで逃げたの。」

 

恐怖や執着を向けられながら、一体何処へ逃げたのだろう?私は居場所が無いから初めから何処にも逃げることが出来ない。それなのに居るべき場所を探す時にはいつも何かから逃げるみたいに早歩きで、焦っているから人が見えない。すれ違った人の存在も、聞いたはずの言葉も、何も覚えていられなかった。まるで天国みたいだ。会えない誰かの気配の中で永遠に一人きりでかくれんぼをしている。しかしそれは、吐き気のする勘違いで、私は、誰もいない場所で、誰かに見つけられる可能性もないまま、永遠に一人でかくれんぼをしているのかもしれない。会えない誰かの気配など無く、多数の死体の気配だけに囲まれ続けているような気がする。そこから抜け出そうとして少し歩く。そうすると予想もしない所で他者を見つけ、見つけられる。死体よりも怖い他者が其処で待っている。それでもなお、私は天国が混ざり合う境界を求めている。天国に堕ちたい。怖いくらいに幸せになりたいのだ。

 

 

DOWN TO HEAVEN

DOWN TO HEAVEN

 

喪失

細い道の向かい側から、部活動合宿帰りの団体が歩いてきて、僕は細い道の向こう側へなかなか進めなかった。それは永遠に往来し続ける羊の群れで、細い管の中を何千年もかけて行ったり来たりする儀式の様に見えた。僕はその儀式を邪魔しない為に、約8分間、群れが通りすぎるまでずっと待っていた。長い時間だった。遠くで遠くて近いような夕日だねと少女が叫んでいた。それはインスタに投稿する為の、単なる余興的偽精神疾患だと気付くのに、僕は一秒もかからなかった。

家に帰ると、先程まで抱えていた花束が消えていることに気付くのだった。恐らく、すれ違い様に羊の群れに盗られたのだろう。僕は酷く落ち込んだ。新作のanelloのリュックと大瀧詠一のレコードを我慢して買った花束だったからだ。あんなに欲しかったそれらを、何故我慢したのだろうか。何故、と考えても思い出すべき事が何も無いように感じ、今では花束よりanelloの新作リュックと大瀧詠一のレコードで頭が一杯になっている。どうやら僕が盗られたのは花束だけでなく、花束に付随する全ての意思であった。あるいはそれは、花束を渡そうとしていた何かや誰かの死でもあった。付随する全ての意思が失われ、殺されていたのだ。花束を何処で買ったのか、買った後誰に渡そうとしていたのか、何一つ思い出せなくなったのだ。………僕は村上春樹の読みすぎで、生活に何か不思議なことを求めているように日頃感じていたので、明日の朝病院に行くことにした。

医者は僕のこの症状について「精神的な乱れ、もしくは虫歯ですね」と言ったので、医者に向かって今朝買ったばかりの銃を向け、人を撃つまでの発作的な心理状態を欠いたまま、医者の頭を撃ってみたりした。簡単に倒れた医者の向こうにある棚には、患者のカルテと、僕の花束があるような幻覚が見えた。その幻覚の後ろ側にある、小さくて柔らかい枕のようなものにピラミッド型に積み上げられた錠剤を見た。そしてそれを指先で崩していった。僕はその中から無作為に27個の錠剤を取り出し、スーパーの袋に入れたのだった。

幾つかの錠剤をいれた袋は、僕には重たすぎた。重たい銃も共に入っているからだ。あとどのくらい道は続くのかと遠くの方に目を向けると、群れがこちらに迫ってくるのが分かってしまった。今度は皆弓道部であるらしく、弓を抱えている。矢はどうやら僕に向けて。羊の群れだ、と思った時、どうしようもない不安が僕の喉までせりあがってきた。これは、あの時の不安に似ている、と思った。僕が誰かに裏切られた時、裏切られた事が自分の存在の全ての終わりのように思えたせいで、生命がどんどん脆い醜いものになっていく瞬間の、あの、感覚そのものだった。怖い人が大勢いる果てしなく広い場所に、何一つ包み隠さず、脆く柔らかくなった物体のまま、曝されるような、孤独な不安だった。

不安は喉元から飛び出て、僕は嘔吐してしまったのかと思ったが、実際には嘔吐しておらず、彼らの矢が僕の喉元に刺さる瞬間を、冷静なまま認識してしまっていただけだった。刺さった瞬間、ふっと腕から重みが消えていく気がした。此処は失う管であった。僕に向けられた矢は僕に本当に刺さり、体中が血だらけになっている。しかしそのまま、僕は今駅に向かって歩いている。なぜなら、孤独な不安を感じていても、僕の目の前には僕がいて、僕の目の前の僕の目の前には僕がいて、僕の目の前の僕の目の前の僕の目の前には僕がいて、僕の目の前の僕の目の前の僕の目の前の僕の目の前には僕がいて、不安が分裂し、僕一人が経験する不安が錠剤一粒よりも小さいものになっていたからだ。その程度の不安であれば、僕達は駅に足を運ぶことなど容易であった。

僕達は最近新デザインとして店頭に並んだanelloのボア付きリュックに、GUのスキニーを履いていた。コーチジャケットは女からもらったギャルソンのコーチジャケットで、シャツはメルカリでかったMHLのノーカラーシャツだった。実を言うと、僕達はシャツはフィリップリムのものを欲していた。「でもブランドなんてどうでもいいんだけど」と言いながら管の中を往来していた。最後尾の僕は僕達の往来を体感で約20時間待ってくれていた羊に礼を言った。しかしながら実を言うと、僕達は羊に意思を欲していなかった。「言葉が話せないのだから往来を待つという行為で何が失われたのか君達には分からないだろうね」と思っていた。しかし、僕達が意図せず羊から盗んでしまったのは、一人で抱えきれないほどの大きな不安だった。

破壊

 

 全てを"ぶち壊す"といった出来事が日常には多々あり、壊す対象が何であろうとも、その出来事は強力な破壊力を持っている。壊された側の空間に居た自分や、そこに含まれていた時間は二度と元には戻る事はない。その時の状態がそっくりそのまま現れ、再考される機会すら永遠に訪れないだろう。

だから、全てを"ぶち壊す"というのは、圧倒的な罪であり、其処にあったはずの空間そのものを奪う出来事なのだ。それでもなお罪が裁かれないのは、破壊する罪は自分が自分に対して犯す事が大半であり、自ら望んで罪を犯しているような気がするからである。望んだ罪、望んだ破壊であるならば、当然裁くにも裁ききれない。

妄想を壊す更なる妄想、現実を壊す更なる現実、過去を壊すそれ以上の過去、それらが積み重なり何度も傷付いた妄想や現実や過去は私が破壊をした罪と共に体の中に永遠に残っている。つまり、これからの生活は破壊され尽くされた様々な時系列の層が、何度か作り替えられ、そしてまた同じ様に破壊を繰り返すだけなのである。それに加え、むしろ妄想は現実に壊されるし、過去は現在に、そして現在は過去に、未来は現在に破壊されていくのが大抵のありふれた生活であろう。

妄想は現実に壊されず、過去は現在に壊されないような仕組みがシステムとしてあったらよかったのだが、そうもいかず、今日も妄想は現実に"ぶち壊され"、現在は過去に"ぶち壊され"ている。私が一番苦手なぶち壊しが「快感」である。ゆるやかにリラックスした現在の中に突然快感が現れたら、全てがどうでもよくなってしまう。妄想の中に感触や温度や痺れのある現実の快感が生まれたら、あるいは現実のなかに何の感覚も持たない快感が生まれたら、そこにある空間は乱れ壊れていくのだ。考えてたことが流され、思考が快感だけになる時、何度も壊れた現在の層が、妄想に破壊される感覚が襲ってくる。

 

 私には夢見る時に思い出される"ぶち壊し"がある。それも、ただの破壊ではなく、一種の快感を孕んでいる可能性のあるぶち壊しだった。それは小さな暗闇の中から少しずつ始まる映像であり、壊される時は、最後に見えた光景が一枚の写真のように堅く守られている。

私と彼の間には腕で抱き抱えられる程度の小さな暗闇がある。寧ろその小さな暗闇しか存在せず、私達の周りには何も居ないと思える程だった。暗い山に囲まれた道を登りきり、コテージの前に集まった小学生達の中に私達は属していた。小学生達は課外学習の最中であり、キャンプファイヤーの準備の為、規則正しく並んでいる。私達もその一員の筈だったのに、その時には私と彼は少しの暗闇をお互いに抱えあい、それを透かしながら言葉を交わそうとする雰囲気があった。

小さな暗闇が波打つ様にうねった時、彼が私に「なんだか足が痛くて、どうしよう」と耳打ちをした。私は一応心配しているふりをして「大丈夫?怪我?」と聞いた。彼は原因は分からないけれどとにかく痛いんだ、ちょっと足を見てくれない?でも此処だと周りに人が居るの"かも"しれないから、向こう側で足を、懐中電灯は僕が持っているよ、と言い、私の手首を強く掴んだ。小学生の集団から遠く離れた林の中、彼は気分が悪そうな顔をして座り込み、早く見てよ、と言った。その時私は訳もなく緊張し、手が震え、彼の体操服を捲る事が出来なかった。それは恐らく、何故彼が暗闇に連れ込んだのが私なのか、そして何故具合の悪いふりをするのかが分からなかったからだ。そんな私を見た彼は次第に苛立ち、呼吸が荒くなる様子を大袈裟な素振りで見せた。そんなに苦しいのか、そんなに怪我が痛いのか、何故そんな嘘をつくのだろうか。私は彼が嘘をついている事は分かっていたが、その場で用意された「彼が病気」という重苦しい設定に圧迫され、そして洗脳されたように彼の病気を早くどうにかしなければならないと心臓の鼓動が早くなり始めた。彼の足は、今にも腐り、溶け出し、血が流れ出す寸前だったのだ。

「保健の先生呼んでくる!」と言いコテージの前へ駆けようとすると、彼が目を見開いて見てよ、と静かに言った。

 

痛い、病気かもしれない、

と言いながら彼は自ら体操服を捲り上げようとしていた。その時の顔は完全に笑っていて、私と目が合うとさらに笑った。その粘着性のある濃い表情で私の現実は少しずつ破壊されていく。笑った顔を誰かが殴りはじめ、顔の形が無くなるくらいに壊されると、崩れた肉片から新しい口が生まれた。その大きく赤い口は耳の辺りまで裂け、そして再びにっこりと笑う。捲り上げられた足の色はなぜか真黒であり、時々皮膚の色が奥から覗いているらしかった。なぜこんなにも色が変化するのだろうと考えていると、彼の足に歪な凹凸が出来ているのが分かった。その凹凸は彼の足を上へ行ったり下へ行ったりし、予測不可能な曲線、あるいは円を描くように、あてもなく彷徨っていた。しかしそれは、単なる動きではなく、何かが彼の足を侵食し、貪りつくように、激しく、そして気味の悪い蠢きだった。

 

彼の足には無数の黒い芋虫が張り付いていたのだ。その風景で映像は終わり、次には瞬間が閉じ込められた写真になる。彼が無数の虫に身体を犯されている瞬間の写真だ。その写真が頭に浮かび「彼は何故それを私に見せたのか」を考えた瞬間の、自分の頭のなかで起こった回転にこそ、快感が含まれている。そして、その回転の遥か前にいた自分や時間は元に戻らず、破壊されてしまうのだ。この映像と写真にぶち壊される前に、私が考えていたのは一体何だったのだろう。覚えているのに思い出せないような、覚えているのに思い出したくないような気持ちになるのは、この圧倒的な破壊力のせいだった。「普通の日常」というのは、圧倒的な破壊力に壊されるべくしてあり、そしてそれらに侵食され、私にさえ忘れ去られてしまう事柄のことなのかもしれない。

 

私が考えたのは「彼はもしかしたら私が彼を"気持ち悪い"と思うことが目的で、気持ち悪がっている私を見たかったのではないか?」という事だった。そして、その様に考えて自らの足を差し出し、貪られる事を選んだ彼の事を考えると何故だか気持ちよくなる事に気付くのは、いつも破壊の後だった。気持ち悪がられることが気持ちよい彼と、気持ち悪くなることが気持ちよい私の精神的な関わりは、今でも日常の中に破壊する快感として、夢の狭間に現れている。

 

気持ち悪くなれば気持ち良くなってくれる人がいる世界が、とてつもなく不気味だった。しかし、自虐的な身体の晒し、性の歪み、間違えた方向へ伸びた男性的な強さに対して、愛や母性を感じるということ、そして「不気味」「恐怖」「異常」を感じ精神的に傷付く見返りに、相手が快感を感じて"くれる"のが嬉しく、傷付いた痛みが異常なやり方で治癒されていく感覚に少しだけ満たされたのだ。彼は、私がこのような感覚を感じやすいということを、見抜いていたのかもしれない。あの時、初めて彼の為に彼の事を気持ち悪くなった時、彼と私が抱えていた少しの暗闇が弾け、回りの空気に溶けていった。彼は「好きだよ」と言っていた。