ドッペル原画展

木兆

 

湯理医科の佳作欄に自分の名があったので驚いた。初めて投稿した。詩題と筆名が紙に印刷されている、もし載っていなかったら文学を諦めようと思っていたので複雑に嬉しい。この墓場に葬られた文を読んでくれた誰かが、そこに色を見た時筆名を思い付き、その名付けをきっかけに詩を投稿する事にした。佳作なので本文は載りませんが。代わりに墓場に葬る。特集の内容に拠り、詩を投稿した/していないに関わらず絶対的に買う運命にあった。頁を開く度、詩を書いた時の気持ちが蘇る特別な雑誌になるのだと思う。

私は最も閉鎖された場所を好むのでnote等は書いておらず、ツイッターも交流する為の道具ではないです。以下詩に対する感想やアドバイス、不特定/特定多数/少数に対する文句・怨念がある方はこちらにご投稿ください。https://oneday-chat.com/room/?id=iw1bo65rifngbbm2r4oit2xluhz43tw3

24時間で文は消えてしまうらしいので、私は見落としてしまうことが恐らく殆どでしょう。

 

 

バスタオルを頭に被せた君の姿がマリアに見える
湯気のヴェールを纏った素肌から
甘い香りがして
一昨日食べた桃の残香だと思った
君の内部へ忍び込んだ桃が溶け出し
滲み、
香りとなって浮び上ってくる
蒸留的な仕組みは生活の不潔さを削ぎ
浴室は清潔な箱庭のよう

少しの穢れも許されない
罪も、醜さも、存在しない箱
庭を満たす残香は
やがて、
花火越しに海へ投げ入れた指輪を
暗闇に隠す
夜の器となった
硝子で創られた砂は滴る
食んだ時に色づいた口紅の
鮮やかな痛み
赤、
夜の器を満たそうとする私達の血液
決して交わることはなく
仕組みはなおも清潔に、上に、
横たわる裸体は真白、口元は青く、
触ると冷たい

指輪は水底で眠り
目を覚まさないからこそ
永遠に形を保っていられる想像の中
メスを差し込み
分断されていく果肉
の内部にある種
固く、冷たく、私達を見つめ、
美しさを剥ぎ取る
残像、
という言葉が好きだった
「刺激が消え去った後に残る
あるいは再生する感覚」

幾つもの処置が
私達の内部で再生される瞬間を
よく二人で、浴室で、考えた
遠い未来の話をし
それぞれの呼吸を重ね合い
同じタイミングで、
何処か別の世界へ、
逝ってしまうような安らぎを求めることを
誰も咎めない箱庭で
神様に許してほしいと
いつも祈っていたけれど
実のところ、
その神様は世間であり
一番嫌悪しているものなのだった
固く、冷たく、私達を見つめ、
美しさを剥ぎ取る
刺激、
それが遺す感覚を
かき集めて、
思い出して、
精一杯再生する
痛み、
愛してみたい

会話もあたたかさもない場所に
全てを委ねて眠りゆく桃は
柔らかに熟れていく
腐り、爛れながら、指輪を飲み込み、
君に似合う口紅の色で変色しはじめる
私はそこから種を取り出す
償いのように
再生、
穢れた夜の器を、
壊れた指輪を、
別の形で、感覚で、方法で、
君に還す
赤く膨らんだ種を飲み込み吐き出した

祈りの代わりに
冷たい砂を口に詰め
凍える季節を待っている

 

 

 

七月

 

手首と太腿から血を流したクラスメイトにハンカチを渡そうとしたら「あなたのせいだけど?」と言われた瞬間の、心臓が鈍く跳ね上がるような蠢きが今でも消えない。あなたが転校してきてから全部滅茶苦茶になったと嗤っているのが、心底気持ち悪くて軽蔑した。

だから私の両手首には傷一つ無い。薄くて薄情な耳朶にも穴一つ空いていない。大人になっても、ビール一本すら飲み干さない。染めた事のない真っ黒で真っ直ぐな髪。鏡に映る顔は、自分ではない誰かのお面の様でとても怖い。"どうして僕らの身体は心より美しいの"という歌詞が頭の中でぐるぐる廻る。こんなに醜い心でも、身体は白く更新されていくのだから。偽物の姿で醜い心を隠している。本当は今すぐにでも、血を流して、アルコールに溺れて、自分を汚して、どうにかなってしまいたいのに。誰も見抜いてくれない、壊してくれない。見抜かれたくない、壊されたくもない。

どの観点から見ても、いつも何かしらに抑圧されてるという意識が拭えない。抑圧は生を蝕んでいく。だから根本的に生きるのが向いていない人になる。向いていないというより、気力が無い。この生ぬるい抑圧の中で漂い続けてる途中、ふとした瞬間、それを弾くような圧倒的な存在が現れたらどうなってしまうのだろうか、と興奮する事が良くある。むしろもうその想像でしか興奮出来ない気持ち悪さ。私を作っている体裁や常識、あらゆる馬鹿馬鹿しいものが、全て見えなくなるくらいに眩しい、圧倒的な光が欲しい。破滅するのは悪い事じゃない。と私が私に囁いている。壊れないことが人生において大切なわけじゃない。

本当に大切な物だけを、気が狂うほどに愛していたいだけなんだよ。そうすれば、身体が要らなくなって、言葉も要らなくなって、今まであれほど執着していた沢山の憂鬱すら要らなくなって、ただ一つそれだけが残る。壊れてしまっても、それだけが私達を結びつけておける一つの所以となるような。そんな0か1かの世界に憧れている。

私は、私が壊れるのを待っている。そうしたら、本当の私が内側から生まれなおして、救われる気がするから。早く其処に還りたい。それが私の人生をどれだけ深く損なうとしても。

こんなことを思ってしまう夜でも、朝が来ればまた抑圧を受け入れる。そしてやっぱり一生嘘をつきながら生きていくことを、誰かあらゆるメタファーを使って肯定してください。何でも他人頼み。だから私はいつまでたっても独りでは呼吸が出来ないのだろう。こんなにも独りになりたいのに。生まれ変わることも、生まれなおすこともできず、結局何にもなれない。

何にもなれないなら、いっそ入院したい。前はご飯のメニューが一ヶ月決まりきっていたから、同じメニューを三周した。メニューに飽きても飽きる程病院が好き。やっぱり嫌い。入院したいと思う時は大体どこかおかしい時。入院したくない。笑えばいいと思うよ。ってシンジ君に言われたい。入院中に読んだ「脚本の書き方」みたいな本に「伝えたいことが無いと脚本は書けないです」みたいなことが書いてあった。世の中に伝えたいこと、何一つ無い。強いて言うならば、伝えたい事が何一つ無いですってことを伝えたい。脚本はもちろんのこと、最近小説が全く書けない。頭にもやがかかっていて、ぼーっとしてしまう。時間は有限なのに。夕方になると電池切れでとてつもなく巨大な脱力感が襲い掛かってくるのです。朝も昼も電池ギリギリだし色々キャパオーバーで少し大きめの物音とか聴こえると軽く発狂しそうになる。次第にまたあの動きで心臓が蠢いて疼いてきてどうしようもないね。ドーピングしたくないので夏のせいだと思いたい。冬が来たらがんばります。

最近読んだ本↓

地図と領土 うえるべっく
落葉   マル ケス
むらさきのスカートの女 いまむら
街とその不確かな壁 村上 春樹
異類 婚姻譚
ぬるい毒
幸せ  最高ありがとうマジで! もとやゆきこ   
家庭用安心坑夫 こさがわちと         
初恋と不倫 さかもとゆうじ          
ほんとうの私 くんでら            
比較宗教学 ウィリアムEペイドン        
内部 シクスス

本谷/有希子さん。粘着質な気味悪さで読んだら元気になった。ズブズブしてドロドロしてネチネチして救いが無いくせにどこか歪んだカタルシスとエクスタシーを感じる話がわりと好きなのは産まれつき。園/子温と同じ誕生日に産まれた人の宿命。宿痾。

シクススの内部はどこを読んでも一文一文が美しく、とても好み。浄化されるようだった。他の作品も読み尽くす。

映画はずっと観たかった別れる決心を観た。他にも色々観たけどあまり覚えていない。あ、怪物観ました。ホシカワヨリの「大丈夫なんだよ。時々僕も、そうなる。」という台詞が印象的で好き。まだ幼いのに自身の混乱を手懐けてる感じが狂気じみて見えたので。

音楽は変わらず。Österreichの詩になりたい。旋律になりたい。最終的には弾かれるギターになりたい。

 

 

 

限界

 

もう二度と失踪出来なくなった。

もう二度と、死にたいなどと思えなくなった。

そのことについて、私は後悔していない、と思うけれど、世の中や自分の環境がどれほど変わろうと、ずっとずっと初めから変わらず孤独な人間は居るのだと感じてゐる。周囲は目まぐるしく変化しているのに、自分だけが独りで居て、何もかもから置いていかれる前に、もっと何も知らなかった若いうちに、失踪しておけばよかった。

大人になるというのは、選択肢がどんどん減っていく状況に耐えるのと同意義。ある地点に立つと、どれかを選ばないと前に進めなくなる。選びすぎて、選びすぎて、選びすぎて、もう次に進むべき場所は次第に自動的に決まっていってしまう。型に嵌められて、身動きが取れない感覚が、年々強くなっていく。私は、きっと何も選びたくなかった。

夜中のデニーズが好きだった。こっそり家から抜け出して、デニーズで失踪計画を立て、好きな言葉をノートに書き綴る。その後、それらのワードを根底にして、芥川賞を受賞出来るような、超現実的で、濃厚で、真っ暗い、純純純文学を書くんだ。受賞会見ではゴスロリ風の黒い着物を着て、白目を向いて、ダブルピースをする。実に理想的な未来である。さて、好きな言葉をノートに書いてみよう。圧倒的諦観、不自然な春。何が原因なのか分からないが、この2つしか思い浮かばないね。おかしいな、私は川谷絵音ベッキーの未来を未だに信じているのに。「心残りを反芻してたね」と初音ミクに言われた。そのとおりだが、何処に失踪するべきか?答えは出ないまま、デニーズで何かしら注文して、普通に美味しくて、また憂鬱になるのだろう。

Listen to 太陽みたいだ(demo) by österreich on #SoundCloud https://soundcloud.com/onlyifyoucallme/demo-3?p=a&c=0&si=a026703ff965487097a02d4dc9f33c80&utm_source=other&utm_medium=text&utm_campaign=social_sharing

 

 

夜の新宿が好きだった。よく1人で行った。何でもあるのに、ひと呼吸ついてゆったり座れる場所すらない不均衡な感じが良かった。楽しそうに見えて楽しくなさそうな人達、悲しい場所。悲しさや寂しさを祝福するような、キラキラした百貨店の光。そういう場所に1人で行くと、寂しいのに落ち着いた。鬱病に包まれているような感じがした。その時間はとても幸せだったんだと思う。

また選択を間違えたのかもしれない。ずっとそうやって、寂しがっていたほうが、楽な私の人生だった気がする。

 

↓かなり前に読んだ本

5月より 泉鏡花

貧しき人々 ドストエフスキー

愛と認識の出発 倉田百三

死後の恋 夢野久作

太宰治情死考 坂口安吾

姥捨 太宰治

白鳥 マラルメ

薄紗の帳 マラルメ

エロディヤット マラルメ

ソネット マラルメ

人工天国J.G.Fに ボードレール

最初の苦悩 カフカ

幽霊 江戸川乱歩

接吻 江戸川乱歩

 

最近読んだ本

あひる 今村夏子

バンドオブザナイト 中島らも

密やかな結晶 小川洋子

笹の舟で海をわたる 角田光代

護られなかった者たちへ 中山七里

月の小屋 三砂ちづる

マリーの愛の証明 川上未映子

シャンデリア 川上未映子

 

 

これまで生きてきて、得られた物は何だったのだろうと考えることが多い。そして、これから得られる物は何なのだろうと考える時、巨大な寂しさに包まれる。目的、意味、成果、安定、思考に押しつぶされそうになる。人に「いつも何か考えている人だよね」と言われる。押しつぶされそうになるけれど、考えていないと余計苦しいのだ。

幼少期の楽しかった思い出が殆ど無い。特に、父親と話した記憶が無い。一番古い記憶は母親が着ていた白青のボーダーのパジャマである気がする。

予定が立てられていない弾丸旅行みたいな1日が苦手だった。何も知らされず朝早く起こされ、知らない土地に連れて行かれ知らない部屋で寝泊まりしているのは、家族旅行なのか何かのついでなのか分からず、全く楽しくなかった。

父親は単身赴任になる前から、口下手なのか全く一緒に遊んでくれなかった。もしくは、記憶に残る様な思い出をくれる人ではなかった。休日は1人で何処かに出かけ、残された私は母親と何度か外に出かけたが、だんだんそれも無くなった。幼稚園の頃、骨折した。病気がちで、すぐ熱を出す子供だった。小学2年生で転校した。5年生あたりでいじめられたが、今となっては如何でもいい。中学校では1年生の頃、2年生の頃、3年生の頃と3回転校した。目が回る程の環境変化に対して、なんとも思ってないフリをしていることに気付かず、何の言葉もかけなかった親を今でも疑問に思う。どうせいつかは別れが来るのだから他人とコミュニケーションをする必要は無い。と変な方向に思考が傾いてから、中学、高校、大学と長い時間をかけて心は壊れてしまった。今も続いている友達は一人もおらず、病気にもなった。病気のことは、母親に相談もしていたため、どうしてもっと早く一緒に病院に行ってくれなかったのか、これについても一生疑問に思う。

嫌な思い出が多い。言われて嫌だったこと、今でも「疑問」に思うこと、箇条書きにして一つずつ整理して理解したい気分になる。

私の人生は常に「こうせざるを得ない」という状態に追い込まれ、用意された少ない選択肢から、仕方なく選んだだけで出来上がった物であるように思う。親はこれをあたかも貴方の意思で選んだ人生でしょう?と言わんばかりに責任を押し付けてくる。そもそも根本から間違えているのだ。私は、何も選んでいない。

他の皆もそうなのだろうか?

 

根源

 

 

お待たせしました。お待たせし過ぎたかもしれません。Ⅰ,実は少し前に体調を崩し、入院していた。四人部屋だったが、カラフルに光るライトを点けながら寝るタイプの人間が1人おり、毎日全く眠れず、その部分に関してはすごく辛かった。眠れない日は、ゴダールのマリアを観た。少女が美しく、何より題名が私の心を掴んでいた。入院中の1日はとても長かったが、ベッドに寝ているだけで何もかもが済んでしまうから楽だった。私は根っからの病人気質である。社会で大活躍し、仕事することに生を見いだせるような商人気質ではない。それを痛感し、自然と涙が溢れ、溢れる度に入院期間も長引いた。Ⅱ,ゴダールのマリアポンヌフの恋人はやはり美しいが、それは何故美しいのか。その美しさの根源を知りたかったが、そもそも私はそれらの何処に美しさを感じているのかはっきりと分からなかった為諦めた日もあった。次の日もう一度考えようとしたが、目の裏で点滅する赤や黄色や水色が消えてくれず、とても考えるには及ばなかった。考える代わりに、からだのやまい。と、呟き、嫌な気分になった。この全ては誰のせいなのか?その根源も美しさと同時に知りたい気持ちは、いつか叶うだろうか。早くここから抜け出さなくては。という焦りが、熱を持って血液を伝い、顔が火照った。まるで知恵熱の様だ。結局のところ、何かを知るには私の世界は狭すぎる。海外へ行ったら広いだろうか?そう考えていた頃、同部屋のカラフルに照らす人が「退院したら海外へ行く予定なの」と話しかけてきた。まるで私の心を読んだようなタイミングであった。私はもう此処には何も残っていなかったので、後先考えず、自分もついて行って良いかと聞いた。彼女は少し微笑んだ。2人で3ヶ月後に退院しよう。と言った。Ⅲ,空港に9時待ち合わせだったが、彼女は来なかった。一人でフランスに行こうかと思ったが、怖くなり辞めた。ノルウェイの森は、確か飛行機内で過去を回想している状態が2冊に及び、二度と回想から帰ってこない。「僕は今どこにいるのだろう」みたいな台詞で終わるのが何とも痺れる。色々な状況に呑まれ、自分の居場所が分からなくなるのは良く有る話だ。チケットを無駄にするのも嫌だったので、とりあえず飛行機にやはり乗ることにした。席に向かうと、彼女がいるはずの場所に、知らない男が居た。彼は、彼女の代わりに来たのだと言い、彼女は昨夜自殺したのだと言った。「僕が彼女の代わりに、貴方とフランスへ行きます。そうしてほしいとあの人が言ったから」私はよく分からなかったが「そうですか」と言った。頭の中では、彼女が何故死んでしまったのか、その理由の根源は何だったのか、考えが渦のようにぐるぐる周っており、一つの絵になりそうだった。彼はアテンダントに魚か鶏どちらにするか聞かれ「鶏」と答えた後、彼女との過去を語りだした。これは小説2冊分くらいになりそうであり、現実に現れたノルウェイの森的状況であった。私は一体今どこにいるのだろう。彼女も、彼も、一体どこにいるのだろう?Ⅰ、Ⅱ、Ⅲのどれかが本当の話で、どれかが全くの嘘かもしれない。しかし、このどれもが本当である可能性もあり、この全てが嘘かもしれない。1つだけ確かなのは、私は今日も生きている。酷い頭痛に苦しみながら。

造花

 

ÖsterreichのDemo2 2019のメロディーが好きで堪らなくなったので、歌詞をつけてみた。

 

[Listen to Demo2 2019 by österreich on #SoundCloudStream Demo2 2019 by österreich | Listen online for free on SoundCloud]

 

 

届かない君の声

遠い部屋で 揺れる映像

見えない星 祈りだけが空に浮かぶ

愛したかった 壊れたまま

 

冷たい瞳

溶かす色が囁いてる

未来の果て 見つめている 綺麗なまま 

愛せなかった 映画の海

 

飲み込む光の花束

咲けば良い 小説みたいに

心地いい嘘 人の群れ

偽物の心だね

私の目 透明な 翳り

火、燃えている

白い骨 柔らかに

壊れても 祈る

綺麗な夜明け

 

 

 

 

 

 

瞑想

 

私は昔から瞑想に興味があり、瞑想によって心が救われることや、天国への行き方の練習にさえなることを信じていた。最近は「日々命を削り心をすり減らしながら生きている」という感覚が強く、このままだと早死する気がするので、寝る前に瞑想している。何なら、電車の中で目を開けながら瞑想している時もある。目を開けながら意識を何処かに飛ばすのが大の得意なのだ。

瞑想について調べていく中で印象的だったのが、恨みや嫉妬といったコントロールしにくい感情と、瞑想を通してどう向き合うかという話だった。 

方法としては、怒りを抱かせた人、そのような状況を作った人を思い浮かべ、その人が2m程前に座っている状況を想像する。そして、その人が抱えている悩み(精神的、肉体的など)を想像する。自らの呼吸で、その苦しみを吸い込む。吐く時に、その苦しみを幸せなイメージに変える、自分の幸せを分け与えるように。そうすると自身の幸福感が増すらしい。要するに、目の前の大嫌いな人は、私と同じように心に困難を抱えていると思える想像力が大事だと言うことだ。そして、本来だったら嫌悪するはずの人物に、自分の幸せを分け与えられる心の余裕も同時に必要になる。

正直、嫌いな人が2m程前に座っている状況がまず耐えられなかった。吐きそうになると思うし、近すぎる距離感は恐怖を覚える。その上、その人の内包する痛みを吸い込むなんて、とてもじゃないけど出来る訳が無い。その時、急に綿矢りさの「かわいそうだね」が読みたくなってKindleで買った。今まで読んでなかったが、タイトルだけ知っていた。かわいそうだね、に込められた感情はどれなのだろうと少し気になっていた。「かわいそうだね。」「かわいそうだね!」「かわいそうだね?」「かわいそうだね?!」「かわいそうだね…」「かわいそうだね〜」今回の瞑想に必要な感情は「かわいそうだね?」ではなかろうか。(読むときに気付いたが、本の正しいタイトルもかわいそうだね?でした)

存在というのは不思議だし、立体感というのも不思議だ。目の前に居る人に「かわいそうだね?」という気持ちで語りかける。目の前の人顔はどんどん霞んでいき、次第に自分に似た誰かになった。誰かの痛みを吸い込んで幸せに変える行為を繰り返していると、呼吸が安定してくる。心も同時に軽くなり、体の痛みが無くなるような、そんな満足感に包まれる。

 

効果があったのか、それとも時間が解決したのか分からないけれど、私は色々なことを許すというより忘れてきている。でも、忘れかけた痛みを掘り起こして、それを展示会にしたのがソフィカルの「限局性激痛」ではなかったか。苦しみや悲しみはいつでも思い出せるのがいい。ただ意図的に忘れたと思い込んでるくらいが丁度いい。意図的に忘れたものは、意図的に思い出せるはずだ。

意図的に忘れるために瞑想をし、いつでも意図的に思い出せる様に毎日日記すら記録し始めている。私の命は毎日少しづつ磨り減っていくのだろうか。まず自分の命の大きさを図り、1日につきどのくらい小さくなっているか調べ測る必要がある。ホロスコープ上で、私の金星は強く、大きい。でも命をすり減らしているからか、金星が死にかけてきている気がする。ホロスコープを見て、占星術で自分の性格や、今の運勢を見るのも好んでやっている1つの趣味である。中村文則の新刊でも、ホロスコープについて触れられており、なんだか嬉しかった。次は私もカード師の主人公のように、タロット占いでも始めようかなと思っている。

 

綿矢りさ かわいそうだね?

坂口安吾 堕落論

ウエルベック 服従

中村文則 カード師