ドッペル原画展

暴力

カーテンレールに吊るして乾燥させてた花束が、不意に足元に落下した音で目が覚めた。

頭から眠気が抜けていくほんの一瞬、足元に落ちた物は完璧に死体だと思っていた。夢との関係性でそういう寝惚け方をあえてしていた。私は、現実から聴こえるカラスの鳴き声を夢の中で聴き、夢の中でカラスをちゃんと殺した事に気付いていた。

朝起きてわざと寝惚けると気分が楽になる。突然引き戻される前に境界で彷徨う事は、直視できない朝に慣れるまでの優しい束の間だと思う。現実で鳴くカラスの鳴き声が聴こえなくなる束の間、現実では花束が落ち、寝惚けの少し手前でカラスは死んだ。乾いた薔薇は、カラスの死体と同じような質量と同じような存在感で私の足元に落ち、夢を覚ましてしまった。

全ては意味の無い事、誰にも関係の無い事

連休の大半は風邪薬と一緒にベッドの上で過ごした。連休という日々も、随分昔の事の様に思える。「昔の事」という箱の中には、連休は勿論の事、小学2年生の頃に受けた宮沢賢治についての授業も、二歳の頃にコーヒーを無理して飲んだ時の味も、昨日見た空の印象的な雲の動きも、全部一纏めに詰め込まれている。まるでコンビニで売ってる大量生産されたクッキーみたいに、どれも決して特別なんかじゃない。誰にでも与えられる過去、誰にでも感じる事の出来る感情だけが昔の事として残っている。


連休の中で印象に残っているのはカラスを殺した夢を見たその日だけだった。その他の日は声が出ないまま居るはずのない兄の事を考えていた、ずっと。


兄は仕事へ向かう途中初対面の男性に突然顔を殴られた。何度も何度も殴られて顔は血で真っ赤になり、目の上は紫に腫れ上がった。朝方だったのに目撃者は誰も居なくて、救急車を呼んだのも兄本人だった。

相手に向けて特別不快な行為をしていた訳では無いはずだと兄は笑いながら言った。朝、いつもの様にスーツを着て、ハイトーンの髪を整えて、薬を飲んで部屋を出た。それでも私の兄には、顔も名前も知らない赤の他人に突然殴られる様な隙と不本意な不快感があったのだ。
殴って、破壊したい
殴って、罵倒したい
殴って、否定したい
そういう様な事を他人に思わせる雰囲気がある。雰囲気というより、表情や立ち振舞から浮き出る人生だったのかもしれない。

兄は時々おかしくなった。部屋に入ろうとすると大きな声を出したり、私が兄の目を覗こうとすると突然泣き出して私を殴ろうとした。私は、不安定な兄の事が好きだった。好きだったけれど、だからと言って結婚したいとか手を繋ぎたいとかそんな事を思う訳は無かった。例え血が繋がっていないにしても。

〝血が繋がっていない〟という事を意識すると、兄と私の間にはお互いに知らない他人が一人立っているみたいな気分になった。兄と話す時は、まず始めにその他人に言葉を伝えないとならない。言葉を聞いた他人が兄に言葉を伝える事で、やっと私の言葉が兄に伝わるのだ。勿論、兄が私に対して言った言葉も、他人を介さなければ聞く事が出来ない。そういう構造の中に私と兄は居たから、私は兄の本当の言葉がいつも分からなかった。次第に、兄には隠し事がある様な気がして、話すのが怖くなった。どうか私と兄の間に存在する他人が消えて無くなります様にと願えば願う程、他人の数は増えていった。兄との間に何も無い距離で言葉を交わせるのは、私以外の人間全員であると言っても良い程、兄は私に対して頑なに本当の姿を見せようとしなかった。



だから、他人に殴られて入院してくれたのは好都合だった。兄の部屋へこっそり忍び込んで机の引き出しや箪笥の中を全部覗かなければならない使命感で胸が一杯になると、熱は更に酷くなって、喉が焼けるように熱くなった。



完結に言うと、兄の机の中には鉛筆や針で汚された私の写真が何枚も入っていた。どれも最近の私の写真で、顔の原型が無いくらいに傷付けられていた。それでも、机の奥にあったセーラー服を着た中学生の頃の写真だけは綺麗に残っていた。写真を見ると誰か分からない様な笑い方をしていた。変わってしまった私には価値が無いと言われている様だと思った。



意識が朦朧とする中で見た兄の部屋、過去の自分の笑顔、私の中の兄はとても遠い所へ消えていった。どこにも行かないで欲しいとどれだけ思っても、行ってしまう。知らない笑顔をもう一度だけ見ようとする。そうすると、皆、私の事を無関係な他者だと認識した。本当は最初から誰にも愛されていなかった。


兄は私の熱が下がった日に退院した。
メロンを持って帰ってきて嬉しかった。
いつものように生ハムを巻いて食べた。

「僕が殴られた時、相手に『あの不倫したバンドのボーカルみたいな髪型してるくせに、お前には社会に対する物怖じと生活に対する関心が無い!!』って言われた。『無関心もほどほどにしろ』って言われながら何度も蹴られた。」と兄が言うと、私は何故か笑顔になった。

私と兄の間に居る他人に向かって、
「はわー、私は社会に対する物怖じが無かった頃の女子高生に戻りたい」と言った。
その言葉は兄と私の間に居る1853576人の他人を介して本当の兄へと伝わる。

兄はメロンを口に含みながら、
「女子高生向いてないよ。もう君は元には絶対に戻れない」と言っていたらしい。生ハムとメロンの相性の悪さに対して怒っていた。

メロンと生ハムの相性の悪さが分からない。
こんなに相性の良い食べ物他には無いし、これがあれば社会に対して物怖じする事もそれ程長くは続かない様な気さえする。

生ハムメロンを食べ続けたら、私は道端で突然殴られたりしてしまうだろうか?もしくは誰かの事を、突然殴ってしまう出来事が起こったりするのだろうか?
程よい脱力感で、全く力のない腕で、
兄をもう一度殴ってあげたい

日記

( 1 )長い夢を見ている様だ。200頁の論文をA4用紙1枚に纏める事が強制になった春の水曜日から、思うように頭が動かなくなっていた。

頭が思うように動かないと人間は何一つ自分の意思で行動が出来無い。脳は心であり、心は脳であるからだ。そもそも、心という場所は最初から何処にも存在しなかった。心を気持ちの保管場所として考えるにしても、保管場所としての空間は存在しない。保管されるのも、気持ちが作られるのも、常に同じ頭で繰り返されている。作られた気持ちを保管する場所としての空間は最初からずっと脳の中に佇んでいた。別の所へ逃げたりしない。心なんていう架空の空間へ、自分の意志を捨ててはいけない。

それでも私は常に架空に負けている。
私の気持ちは脳へ留まる事無く、永遠に架空の心へ逃げて行ってしまう。気持ちの多さに心が追いつかない、思うように気持ちをコントロール出来ない。悲しくないのに涙が出た時は、素晴らしいだけの景色が見たい。

「素晴らしいだけの景色なら俺んち!」と言って餃子を掴んだままの茶色い猫が私の肩に飛び乗ってきた(ここは笑う所)

一応その猫の家に行ってみると、
他にも素晴らしいだけの景色が見たい人が大勢いた
大勢の人は手で目を覆っていた

気持ち悪い光景だと思った
わざわざ景色を見る為に赴いたのに、
どうして目を伏せるのだろう?

私は猫の部屋を見渡した
畳の広い和室の襖の奥から風鈴の音が聞こえる

日本画が描かれた襖を開けると、
そこには風鈴と一緒にぶらさがる大勢の人間がいた

他人の視線を感じて上手く景色が見れない
私はどうにかして心を無くさないと


( 2 )水に濡れた髪を鏡の前で乾かしながら、鏡の前の人間の目が少しずつ赤くなっていくのを観察していた。餌をわざと与えられずに醜くなった可愛げの無い兎の目みたいだった。細かい赤い血管が真っ白な眼球に浮き出る。粘膜の上に水分が溜まって、溢れそうになった所で私の瞼が閉じた。架空の心が何処かに消えて、気持ちが脳に戻るまで、閉じた瞼は一向に開かれる事は無い。それを祈っていた

祈りは間違えだったのかもしれない
私は必要のない事ばかり覚えてしまった
間違った祈り方、人を遠ざける言葉

瞼は一向に開かれなかったのに、
心は何処にも消えなかった

何一つ、何に対しても後悔したくない
心という架空さえなければ
物事への感情を知ることもなかったと思う

でもそれだと悲しい
今までの事は本当にただの長い夢だったと理解した時と、
同じくらい悲しい


一体今まで何の夢を見ていたのだろう?
どうしてずっとそんな事をしていたのだろう?
悪い夢なのか、良い夢なのか、
それすら一生分からない
今更夢から醒める方法も殆ど分からない


私は生まれる直前まで、
多数の心臓抜きを読んでいた

これだけ誓いを交わしても

季節


今年は何故か、夏は早く来て欲しいと感じる。

「夏が早く来て欲しい」というより「夏は早く来るべきであるよね、今年に関しては」という気分。どうしてだろう、夏は嫌いなのに。

一つ思い浮かぶのは、気管が洗われる様な涼しい部屋の中で、本を読んだり氷を食べたりしている瞬間。今年はあまりにも冬が長すぎた。常に凍える寒さの中で、居心地が悪いまま、悩みすぎたと思う。


夏が楽しみ。早く涼しい部屋の中でインターネットが見たい。知らない人の浴衣と、知らない土地の花火を画面越しに見たい。苦しい暑さの中、逃げるようにコンビニに入った時、此処は天国みたいだと思いたい。

本当に〝楽しみな夏〟が来たらどうしよう。
もし、最悪な夏じゃなくて楽しみな夏が私の横に来たら、ずっと昔に大きな橋の上で川の上に浮かぶ花火を見た夏休みをもう一度経験したいと思っている。
その時の夜空の色が目に浮かぶ。
夜空の色や大きな橋の形を想像しながら眠ると、その時一緒に花火を見ていた従兄弟を殺す夢を見た。私は従兄弟を殺した事に対して罪悪感を感じていたけれど、周りの人は私が殺人者である事を見て見ぬフリをした。夢の中でも居心地が無かった。なるべく早く思い出を経験する為に、夏は早く来るべき。私は今年それらをもう一度経験するべきだと思う。


楽しみな夏が来るまでに、春が過ぎるのを待たなければならない。春に関しては今年は特に何も思わない。去年は凄く嫌で仕方が無かった。今年の春は、私が将来好きになるであろうドラマもしくは小説(実際にはまだ存在していない物)に、登場するべき台詞を考える事にする。きっと春が終わっても続けると思う。

「季節に関して寛容になった。早く色々な事が適当に進んで行って欲しい。」

「メルカリでパズドラのアカウント買ったら、送料が商品よりも高かった。」

「普通にフリーターしながら芸人目指してる」

「中高生の頃からボーカロイドばっかり聴いてたから、なんとなく人間の声って苦手」

「笑い方が奇妙な人は、一向に嘘っぽさが抜けない。君、笑い方奇妙だよ、治した方が良い。いい病院知ってるよ?」

「ピアノの音がどうしてこんなに悲しいのか分からない」

「最近はこういうのが浅草で流行っている」

「鬱曲こと神曲

「自動車学校がこんなにも辛いとは思わなかった。何故教えてくれなかった?」

「人魚学の為の戦争がある様に、人生の為の死がある。だけど、死が無いと成り立たない恋愛小説とかって本当に嫌い。」

「じゃあ、死から始まる恋愛小説は?」

「好きな子を、お墓参りデートに誘った」

「遠くの街へ行っても、僕には必ず何かしらの異常が起る。僕自身に起こるのではなくて、僕の周りで異常が起こる。最終的にそれは僕自身の不調に繋がって、また違う方向の遠くへ逃げることが必要になってしまう。これまでずっとそうしてきた。いつの間にかそうやって、旅芸人になっていた。」

「僕がメロンソーダを頼むと必ずそうやって言われるけど、本当に失礼だと思うよ。飲み物くらい各々の自由でやらせて欲しい。いくら純喫茶巡りサークルでもそれはおかしいでしょう」

「教会で人が死ぬなんて小説見たいだね」

「コムデギャルソン

ラーメン同好会サークルに入っている猫、
今日も何処かで他人に媚を売っている
いつまでも自由にしてればいい
一応モノクロのフィルターをかけつつ
僕がスマホで写真を撮ってあげるから

墓参り帰りの僕はスマホ触れる程度に元気
ただひとつ言えるのは、
コムデギャルソンのコーチジャケットが似合わなすぎる事
墓参り中もずっと気になってた

撫で肩すぎてつらい、
原因不明で撫で肩

撫で肩すぎてつらい
撫で肩すぎてつらい
撫で肩すぎてつら

騒音まがいの衣服を着こなす
猫の肩を抱いてバス停で一服
肺が崩れてモノクロする暇無し
死んだ人間は何処にも居ない

撫で肩すぎてつらい
撫で肩すぎてつらかった

時代錯誤を見極める
猫の肩を抱いて自分の手相占い
出来るだけ早く終らせたい
悲しい結末だけが待ち構えているらしい」

「撫で肩すぎてつらい」

「アーメン」

「特に何にも興味が無い」

印象


私にも一応好きな空間というものが在る。それには人々が存在するべき場所としての空間と目に見えない存在としての空間の二種類があって、これからもっと種類は増えるかもしれない。


例えば私が好きな空間の一つは大学という場所だと思う。その空間の内側に在る、まるで春夏秋冬が一気に襲いかかってくるみたいな勢いの強い誰かの眼差しも好きだった。その眼差しは実際に目に見えて在る訳ではないけれど、しっかりと私の中で空間として活きている。勢いがあるけれど決して私を急かさず、でも時にはその眼差しが私に真実を伝える為の大切な合図になっている様な気がしていた。その眼差しを私が感じさえすれば存在は本物になって、鋭い黄金色の直線になった。直線が幾重にも重なって、私の頭上で複雑に絡まると、幾つかの空間が出来た。その直線は一つ一つ違った形の空間を創り出していて、教会のステンドグラスみたいに色が付いていた。とても綺麗で、嘘みたいに見える、そういう所が大好きだった。好きな理由には必ず目に見えない物が在ると思う。それも、恥ずかしくて人には言えない様なイメージや印象としての空間。

私が三四郎小宮の事を好きな理由の一つは、言葉の節々に芸人としての魂が籠められている事。後の9999個は目に見えないイメージや印象としての空間だと思う。猫が高円寺を闊歩していたら最終的に香港まで行ってしまった時のイメージや、口元だけ人間に変化出来なかった猫という印象がある。こんな事人には言えない。他人にイメージを持たれる事は気味が悪くて気持ちの悪い事、本当はイメージについて考えたくなんかない。


嫌いな理由にも必ず目に見えない物が在る。単に嫌いなのではなくて、それを見ると嫌なイメージが具体的に浮かんできてしまうから、より具体的に物事を嫌いになっていく。

TVのインタビューで、地震の事を
「暴力をふるってくる目覚まし時計みたい」
と言っていた男の子が忘れられない。

嫌いに対するイメージや印象としての空間
「丁寧な無視をする信号機みたい」
「まるで夏に無理矢理降る雹」
「包み紙の無いガム」
「針で刺されたままの瞼」
「バスタブに詰め込まれた枯葉」
「落し物を盗む機械」
「人工的廃墟のような偽物」
「勝手に停止する録画機能」
「思い出と作業の思い違い」
「霊感のある幽霊」
「内面にしか瞳が無い幼虫」

嫌いの種類はもっと沢山在る
私に対する嫌いなイメージや印象
誰かこっそり教えて欲しい

人魚


TVの中から聞こえる大きな歓声が苦手。
あの音は異常にうるさい、こちら側の安定をわざと掻き乱す様な悪意がある。こちら側が既に混乱している場合には更にその混乱を強めてくれる様な厚意もある。どちらにしても、TVの中から聞こえる大きな歓声の事が本当に好きじゃなくて、どこか遠くから小さく聴こえてくれば良いのにと思う。

歓声が聴こえてそんな風に思ったのは丁度録画していた舞台が終った瞬間で、それは相撲取りが相撲取りを土俵から落とした事によって興奮した他人の声の重なりだった。今のところ相撲には興味は無いけれど、いつの間にか予想外に相撲に興味を持つ事があるかもしれないと思って暫く画面を眺めていた。何でも良いから何かに興味を持ちたい。出来れば毎日その事しか考えられなくなるくらいに。もしかしたらその願いは恋愛が叶えてくれるのかもしれない。インターネットの中で、「好きな人の事だけ毎日考えてる」と仰っている方々をよく拝見する。

特に考えたくもなかったけれど、私は死んだらどうなるのか適当に考えなければならない事になった。相撲の前に見た舞台でそういう様な事を言っていたから。その舞台は実際に生でも見たのだけれど、TV越しだとやっぱり違っていた。生で見た時の感想を読むと自分で書いたくせによく分からなかった。

雑記 -

それでもこの日記からは舞台の設定が少し分かる。人間と人魚の死生観の違いの上に、死にたくないのに死んだ人の苦しみや、命が終わるまでの期間が描かれている舞台。


私は、生きたという事実だけを存在として扱って、その期間に過ごしてきた時間や場所はただの通過点としてすぐ忘れるべき物としてぞんざいに扱うかもしれない。生きたという事実だけが天国へ行き蘇る為の理由であると考える事しか出来ない。死ぬ事は人間の身体が無意味な塊へと戻る事だと思うけれど、とりあえずはその後その塊を置き去りにして、魂だけは何処かで続くと思っていたい。そう信じることで私の中には天国というスペースが創られていく。

それとは違い舞台の中の人魚は、死体に張り付いたまま残った「時間」の場所について考えている。私が通過点としてすぐに忘れる様な「過去」や「時間」こそが生きた証であり、いつまでも残ると考えていた。そういう風に、死体の周りでは時が流れ続けるという事は、不老不死である人魚にしか考えられない事だと思う。時間がなければ生きるという行為すら存在しない。生きている中で過ごしてきた時間は、いつも行き場を失くして彷徨っている。魂以上に魂らしく、あてもなくゆらゆらと時間だけが居場所を探しているのかと思うと、少しだけ今まで生きてきた事が無駄な事ではなかったのかもしれないと思うことが出来る。(これについてはまた今度)


舞台の中の時間は、塩となって海に溶けていた。その設定が私は何よりも好きだった。広すぎる海の中に行き場を失くして彷徨う時間が溶けていると想像すると、海はまるで自分の心臓みたいに偉大な物だと思った。 私にとっての海は、全ての諦観が身体に巻き付き、何かを信じていないとその諦観の重さで容易く海底に引き摺り込むというような恐ろしいイメージがあった。でもそれだけではなく、舞台の中で海の中に時間が溶けていくみたいに、何かを諦めた人間が海底に沈んでいく様子には一種の墓場の様な役割が見えると思った。

海底では、沢山の人が祈っていた。それは、戻りたいという祈りだったように思う。舞台の上で、塩で出来た時間は鱗になり、元の身体もしくは元の時間に戻りたいと祈る時に鱗が逆さになった。鱗=時間と考えてもいいかもしれない。その鱗が逆さになる時に「還っていく」という感じがした。例えば、地上で呼吸をしている自分がもうこれ以上生きられないと思った時に、海底で既に死んでいる自分の元へ還っていく風景。

少しずつ老いていくということは、少しずつ死へ戻っていく事だと思う。自分の死へ戻っていくその途中、生きた期間は海へ葬られていく、諦観や祈りと一緒に。

嘲笑


私がゆっくり書き続けた文章の中に、
毎晩瞼を閉じる事が出来ない病人がいる。

何時間か前にその病人が道端で倒れて病院に運ばれるのを見た。私はその時すごく悲しい気持ちだったのに、誰かと何年か前一緒に行った水族館の話をして無理矢理笑顔になっていた。その偽物の顔の瞳で倒れる病人を見ると、水族館の話があまり聞こえなくなった。こもった声が遠くから聞こえて、言葉として判別できない音が海の底から怒号のように鳴っていた。広告の、最初から薄い水色の部分に絵筆から滴る多くの水が垂れて、もはや水色は消えてしまった風景が浮かび、その手前で河豚の死骸が穏やかに溶けていた。時間を表す物が何一つない場所で河豚の死骸は徐々に無くなっていった。意志もなく、長さや経過も無く、溶けても溶けた事すら気付く理由も無かった。何にも気付く事の無い穏やかな所へ行きたいけれど、私の骨は動いているから、忙しなく、そして一向に止まることが出来ない。「あの時丁度地震が起こって、水族館の水槽全部割れちゃうかと思って。面白かったよね」という声が受話器から流れると、私の悲しい気持ちは悲しいというよりもやっぱりまた諦めのような物に変わって、何処へも動かなくなった。受話器の向こうに在る沢山の種類の悲しみや現実を嘲笑する冷たさに気付くと、私は穏やかな所で一時眠ることが出来た。まるで凍りついたみたいに、その場から一歩も動かなかった。それ以上何にも気付きたくなくて、少しの間溶けて死にたかった。受話器の向こう側で何かしらのCMの音が鳴って、この病人が自殺するまであと一年程の期間ある。その期間中何か変化があって自殺をせずに生き続けられる可能性は20%くらいしかないだろう、と医者は言った。私は医者に言われた事をしっかり覚えているけれど、書き続けなければならないのは病人が自分の事を病人だと気づいていない時の景色と呟いた言葉だけだと思った。此処では書き続けなければならない事に対してきまりを作ってないから、医者が言った事を忘れないように書き留めたいと思った。それと、私は誰かが言った言葉を非現実な所にいる存在しない人の台詞の様にして思い出す事が好きだと思った。

それから、病人は自分の病気に少しずつ気付いていけばいくほど命から呼吸が遠ざかっていく感じがあって、その動きに約一年かかるという事だった。その一年が終わる一番最後の時、一番端で、一番奥で、一番不安定な時に、呼吸と命が完全に離れてしまう感覚を、一番過敏に感じてしまう病気だった。完全に離れてしまう時以外にも呼吸が遠ざかっている動きを常に感じ、最後の瞬間に起こるであろう味わった事の無い感覚に怯えながら呼吸を続けている。知らない感覚を待ち続け、その感覚を初めて知った瞬間に死んでしまう。

医者は全体的に落ち着いていた。物事が他人のせいで上手く進まなくとも、上手く進まないせいで楽しみにしていた舞台や映画が診れなくとも、一切攻撃的な行為を働かないように常々自分を自分で監視しているような緊張感と正義感があった。でもそういう人間は私にとって、自分自身以外の何にも深い興味が無い人間と同じ種類の物だった。落ち着きがある人間は、落ち着きがあるのではなく、単に興味が無いだけで、そこには自制と無関心だけがある。そして自分自身が死ぬと分かった時、誰よりも異常に興奮し、取り乱し、幻覚を見る。

呼吸が少しずつ命から遠ざかっていくのは誰でも同じ事では無いのかと聞くと、医者は落ち着いた様子ではい、と言って「人間は誰にでも最初からそういう病気がありますが、それでも遠ざかっていく感覚に気づかないのが普通です。あの病人は、その遠ざかっていく感覚に気付いてしまう病気です。その感覚は本人以外誰にも分からない。でもきっと、頭がおかしくなってしまう程の恐怖を心理的に感じるでしょうし、身体的には常々止まらない動悸と早すぎる心臓の動きによる不眠、遠ざかる呼吸を取り戻そうとして奇声を挙げたり、肺に空気を入れる為の穴を自力で開けようとする、またはストレスによる自傷行為が目立ちます。そして何より恐ろしい程、生きる事に焦がれる。それはもう、まるで恋をしているみたいに。可哀想な病気ですよ。僕の呼吸も現に今遠ざかっているけれど、何も感じない。感じる事が出来ない身体で本当に良かった」


医者が病人を嘲笑してる様な気がした。でも私は何も言わなかった。医者の正義感に満ちた目線を感じると苦しいし、苛立ちでどうしても何かを壊さなくちゃいけない気分になる。何か言葉を発したらそれらの感情は更に膨れるだろうと思ったから、私はオストライヒベルファストを外で聴く為に突然立ち上がった。その突発的な行為に医者は驚き、飲もうとしていた紅茶を胸元に零した。見事に汚れた白衣を見て、私は困ったように笑った。

真白

 

AB型RHマイナスっぽい人
そういう人は大体絵に描かれる様な現実離れした眩しい黄緑色を好んで、その色のコートや自転車を所有している事が多いです。悩ましいのは、その色を積極的に好む人の事を私はどうしようもなく好きになってしまうという事が決まっているという事です。これは、予定説のように初めからあらかじめ決められています。その理由を聞かれても、そういう運命の星の下に生まれたとしか言えない。気付いたら私は黄緑色に反応せざるを得なくなっていたし、"黄緑色が好きというのが好きな理由なのではなく好きになった人は高確率で黄緑色を積極的に好んでいる"というその確率を正確に知る為に黄緑色に注視し、多くの人を知らなければならなくなった。

 

昔、好きだった人が筆箱を開いていたから少しだけ中を盗み見たら、MONOの消しゴム一つと同じ種類のシャープペンが四本入っていた、見事に全部黄緑色だった。同じ種類のシャープペンシルが四本も入っているという点に対して抑えきれないくらいの好意を抱かずにはいられなかった。私はバレンタインデーに真っ白なシャープペンをプレゼントしてその人が本当に嫌そうに筆箱にそれを入れるのを見た。一週間後に筆箱から真っ白なシャープペンが無くなっていたのに気付いてしまって、絶対的に大好きだと思った、でも転校したからもう会えない

 

道端で小学生が控えめなダンスをしながら控えめに鼻歌を歌っていた 揺れるランドセルに付けられたキーホルダーとその男の子の眼鏡の縁と小さな靴が黄緑色だった
それ以外は灰色だった
初めて買った補助輪付自転車も、
初めて買ったゲームボーイアドバンスSPも、 
初めて買った    も、
彼の幼少期はずっと黄緑色に囲まれていた

「どうして四本も同じシャープペンシルを入れているのか」と聞くと「とても気に入っているから、失くすのが怖い」と言って、その後平気で消しゴムは失くす

私は気に入っている物をいくつも所有していないと気が済まない不安の感じ方を全く知らない

緑のたぬきとコンビニで売っている塩おにぎりと少年ジャンプを抱えて急ぐ細すぎるサラリーマンが、それと同じ類の不安を感じて部屋に何体もお祭りバージョンの初音ミクを置いた。それでも不安で、全く同じ世界史の参考書を二十冊くらい重ねて椅子として使用している。それを見て私が不気味だと言うからもう一度「失くすのが怖い」と言う言葉が聞きたい。誰もいない仏壇だけの部屋に時々その声がこだまして、時々来る母が初音ミクのフィギュアを掃除する風景はもう見たくない

歴史の教科書に内容が増えていく
参考書もそれに対応しないと意味無いです
人に優しくなれる、黄緑色に執着すれば私は限られた人だけを大切に愛する事が出来る
でも、最近はもう色々多様化して大体の人が黄緑色の事を好きになってきているよね