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ドッペル原画展


調子が悪い一日だった
何かを食べると、自分が酷く過食している様な気がして身体の事を醜く感じたり、色々な物事を何一つ頑張りたくない気分になったりして、酷く疲れた

色々な物事というのは、目の前に積み重なる押し付けられた義務 あるいは自ら望んだはずの物事、それよりも先にある未来のような長い日々とか、それよりも全然奥にある根本的な事(身体を起こしてカーテンを開けて、顔を洗ってご飯を作る、歯を磨いたり掃除をする)だと思う

とにかく、目先にある物事もその奥にある物事もそのもっと奥にある物事も、全部何一つとして頑張りたくなかった それが押し付けられた義務だとしても、自分が望んだものだとしても、どちらにせよ身体が動かなかった


一日中何もしないままで居る事に嫌気が差してパソコンでエヴァンゲリオンQのDVDを観る事にした その後に銃と風の歌を聴けを読んだ

観たり読んだりする一連の行動の中には、耐え切れない程の暇とふとした感覚の繋がりがある

ハートフィールドが好んだもの三つの内、二つは銃と猫だったけれど、その前に読んだ小説の中で既に猫は銃に殺されてしまった

自分が何かの感覚で選んだ順序に、時折何かの繋がりを見つける事がある
もちろん、違う小説の中 違う世界の中 違う人が書いた文章だから、雰囲気の繋がりや思想の繋がりは見えたりはしないのだけれど、その順序の中には言葉単体の繋がりが存在している

言葉だけが本の上をすり抜けていつまでも纏わりついてくる
銃や猫、見えないもの、神、キリスト、
中野、長野、松本、カフカ
すり抜けた言葉が文章を超えて一つの物になった時、全ては元々一つの物事だった様に思える

その言葉によって何かが伝わったり何かが分かったり何かを悟ったりする訳では無いのに、偶然は存在しないのだと思ったり自分は初めから本を選ぶなんて事をしていなかったのではないかと考えたりする きっと何も頑張りたくない気分のせいで、そういう風な状態になる

この繋がりが偶然でも選んだ事でもないのだとすれば、纏わりついてくるこの言葉は、私にとっての何者かであり、大きな意味があるものなのだろうと錯覚をする
それが嬉しい

知らない誰かが、私に物事の繋がりを無理矢理選ばせ、言葉をすり抜けさせた挙句全ての物事を一つにしようと企んでいるのならば、私が何も頑張りたくない気分になる事や何も頑張れなくなってしまう事を許して欲しいと思う
いずれ一つになる物事ばかりなのだから