ドッペル原画展

憂鬱

家を出てから駅までの道の事をもうずっと好きになれていない。長い直線、人とすれ違うと一瞬で不満感で頭が痛くなる。どうしてこんな風になるのだろうと考えれば考えるほど、早く親に「周りの親達を見ていても子供を育てるのが羨ましいとか、愛のある行為だとか思わない、子供なんて一生育てたくない 結婚もしたくない」と言わなくてはならないという使命感で喉が苦しくなった。なんとなく性格が悪い、それだけが遺伝。


やっとの思いで満員電車に乗る。周りを見渡すと、みんな私よりも悲しそうで少しだけ安心した。淀んだ目でスマートフォンを眺める女性が可哀想で私が泣きそうになっていると、電車の中吊り広告から蛇みたいな顔をした男がこっちを覗き込んでいて気持ち悪い。
まるで神様みたいに笑っている。

代々木駅に止まると私はいつも満員電車の中から代々木駅のホームを見渡す。実を言うと、代々木乗り換えで渋谷に向かう男を探している。髪の色は黒で、もしかしたら眼鏡をかけているかもしれない。きっとオーラは黄色と灰色で、すごく大きなヘッドホンをしている。

彼のヘッドホンは大きすぎてすれ違う人に怪訝な目で見られる。でも彼はそういう目をした人達に何か言われれば間髪入れずに「これは9万する。お金の問題じゃないけれど、君達みたいに"音質"や"音色"について無知な人間にはお金で説明するしか術がない。片耳だけで3万円の音がする。俺は、僕は、音楽にそこまでお金をかける人間だし、君達にとって神様を超える存在になり得る音楽を知っている。君達にはそれを聴く機会は一生与えられないだろうけど」と饒舌に、そして小さな声で鼠が叫ぶように話す。
でも怪訝な目をした男は申し訳無さそうに怯えながら彼に言う。

「ヘッドホンじゃなくて、貴方の動きと目つきと、"呼吸の仕方"が、少しだけ、"とても"変わっているなと思ったんですよ」

彼の口から何も言い返す言葉が出てこなくなったのを確認すると、男の怪訝な目は彼を蔑むような目に変わり、会話を聞いていた周りの人達と一緒に彼の自意識過剰な勘違いに対してニヒルな笑みを浮かべながら電車に乗り込んだ。



彼は頭が可笑しい。大げさに言うと、冬なのに半袖を着ていそうというような溌剌なイメージを他人に持たれてしまうのに、それと同時にいつも暗い部屋に引きこもってインターネットをしていそうという陰鬱なイメージも同時に持たれてしまう様な所がある。毎日溌剌としているのに所々に彼の陰鬱な私生活が垣間見えるのだ。(例えばヘッドホンの話もそうだし、その他にも沢山あると思う)

男に呼吸の仕方が変わっていると言われてから、彼は代々木駅のホームで大きな溜息をついた。そしてその後突然笑顔になったりした。その時彼が思い浮かべたのはお笑いのネタだったり、友人の不幸な体験だったり、自分が今朝体験した心霊現象だったりした。彼の事を、時々何かの病気なんじゃないかと思う。その病気を、全て私に見せてほしい。(でも実際に彼と話してみると何の病気の症状もみられない健常者だった)

彼はイルカとかシャチとか、ああいう表面に艶のある生き物がとても好きそう。でもクラゲは浮ついていているから嫌い。愛について歌うときの気怠い声は、私が両親に言うべき言葉に重なって、何処かに消えていく。


代々木駅を過ぎても電車の中は窮屈で、私はもう限界になる。毎日毎日こんなのは気が狂う。
どこか遠くに行きたいし、もう私よりも悲しそうな人に囲まれて気持ちが沈んでいくのは耐えられない。