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ドッペル原画展

嘲笑


私がゆっくり書き続けた文章の中に、
毎晩瞼を閉じる事が出来ない病人がいる。

何時間か前にその病人が道端で倒れて病院に運ばれるのを見た。私はその時すごく悲しい気持ちだったのに、誰かと何年か前一緒に行った水族館の話をして無理矢理笑顔になっていた。その偽物の顔の瞳で倒れる病人を見ると、水族館の話があまり聞こえなくなった。こもった声が遠くから聞こえて、言葉として判別できない音が海の底から怒号のように鳴っていた。広告の、最初から薄い水色の部分に絵筆から滴る多くの水が垂れて、もはや水色は消えてしまった風景が浮かび、その手前で河豚の死骸が穏やかに溶けていた。時間を表す物が何一つない場所で河豚の死骸は徐々に無くなっていった。意志もなく、長さや経過も無く、溶けても溶けた事すら気付く理由も無かった。何にも気付く事の無い穏やかな所へ行きたいけれど、私の骨は動いているから、忙しなく、そして一向に止まることが出来ない。「あの時丁度地震が起こって、水族館の水槽全部割れちゃうかと思って。面白かったよね」という声が受話器から流れると、私の悲しい気持ちは悲しいというよりもやっぱりまた諦めのような物に変わって、何処へも動かなくなった。受話器の向こうに在る沢山の種類の悲しみや現実を嘲笑する冷たさに気付くと、私は穏やかな所で一時眠ることが出来た。まるで凍りついたみたいに、その場から一歩も動かなかった。それ以上何にも気付きたくなくて、少しの間溶けて死にたかった。受話器の向こう側で何かしらのCMの音が鳴って、この病人が自殺するまであと一年程の期間ある。その期間中何か変化があって自殺をせずに生き続けられる可能性は20%くらいしかないだろう、と医者は言った。私は医者に言われた事をしっかり覚えているけれど、書き続けなければならないのは病人が自分の事を病人だと気づいていない時の景色と呟いた言葉だけだと思った。此処では書き続けなければならない事に対してきまりを作ってないから、医者が言った事を忘れないように書き留めたいと思った。それと、私は誰かが言った言葉を非現実な所にいる存在しない人の台詞の様にして思い出す事が好きだと思った。

それから、病人は自分の病気に少しずつ気付いていけばいくほど命から呼吸が遠ざかっていく感じがあって、その動きに約一年かかるという事だった。その一年が終わる一番最後の時、一番端で、一番奥で、一番不安定な時に、呼吸と命が完全に離れてしまう感覚を、一番過敏に感じてしまう病気だった。完全に離れてしまう時以外にも呼吸が遠ざかっている動きを常に感じ、最後の瞬間に起こるであろう味わった事の無い感覚に怯えながら呼吸を続けている。知らない感覚を待ち続け、その感覚を初めて知った瞬間に死んでしまう。

医者は全体的に落ち着いていた。物事が他人のせいで上手く進まなくとも、上手く進まないせいで楽しみにしていた舞台や映画が診れなくとも、一切攻撃的な行為を働かないように常々自分を自分で監視しているような緊張感と正義感があった。でもそういう人間は私にとって、自分自身以外の何にも深い興味が無い人間と同じ種類の物だった。落ち着きがある人間は、落ち着きがあるのではなく、単に興味が無いだけで、そこには自制と無関心だけがある。そして自分自身が死ぬと分かった時、誰よりも異常に興奮し、取り乱し、幻覚を見る。

呼吸が少しずつ命から遠ざかっていくのは誰でも同じ事では無いのかと聞くと、医者は落ち着いた様子ではい、と言って「人間は誰にでも最初からそういう病気がありますが、それでも遠ざかっていく感覚に気づかないのが普通です。あの病人は、その遠ざかっていく感覚に気付いてしまう病気です。その感覚は本人以外誰にも分からない。でもきっと、頭がおかしくなってしまう程の恐怖を心理的に感じるでしょうし、身体的には常々止まらない動悸と早すぎる心臓の動きによる不眠、遠ざかる呼吸を取り戻そうとして奇声を挙げたり、肺に空気を入れる為の穴を自力で開けようとする、またはストレスによる自傷行為が目立ちます。そして何より恐ろしい程、生きる事に焦がれる。それはもう、まるで恋をしているみたいに。可哀想な病気ですよ。僕の呼吸も現に今遠ざかっているけれど、何も感じない。感じる事が出来ない身体で本当に良かった」


医者が病人を嘲笑してる様な気がした。でも私は何も言わなかった。医者の正義感に満ちた目線を感じると苦しいし、苛立ちでどうしても何かを壊さなくちゃいけない気分になる。何か言葉を発したらそれらの感情は更に膨れるだろうと思ったから、私はオストライヒベルファストを外で聴く為に突然立ち上がった。その突発的な行為に医者は驚き、飲もうとしていた紅茶を胸元に零した。見事に汚れた白衣を見て、私は困ったように笑った。