ドッペル原画展


本の感想として曲の歌詞を書く。
「この曲は何の小説を想像した歌詞だと思う?」と聞く。
相手が答えた小説がこの歌詞の気持ちと一致した時、どれ程素晴らしい嬉しさや感動が湧き出てくるのだろう。
それらを想像すると楽しくなるのに、少し切ない。
切なさには〝適当な大きさの穴〟が多く開かれている。
その隙間から、本当は光ったはずの思い出と数々の温かい会話がねっとりとした感触とみずみずしさを持って流れ出していく。血の様に、わたしはそれが流れているのに長い間気付かない。気付くのは適当な大きさの穴達からもう一滴も血が流れなくなった後で、自分の体が真っ赤に汚れてる事を「発見」した時だ。切なさの後には無力感 怠惰、放棄 意味のない眠りが繰り返される。血に濡れた生身の体ほど、卑しく汚らわしい物を見た事が無かった。だから、それを見た瞬間、大きな白い空白の雲が覆いかぶさって、身動きが取れなくなるのだ。今すぐに隠れたい、全然こんな状況望んでいなかった。どうして今まで血が流れている事に気付かなかったのだろう?自然のせい、運命のせい、雲行き怪しい空白に覆われるだけで、全く身動きが取れなくなる。



僕は何も見えていない
僕にだけ何も見えていない

夢の中の少女の身体
通過する光から血が溢れだす
溺れる赤い虎を、見つけて祈った

それは全て僕の夢を現実的にする為の嘘みたいな余興、
あるいは劇団員だったのかもしれない

劇団員は時として殺し屋になった
ふざけた余興
ふざけた演出
僕だけが生身の命を抱えている
君だけがそれに気付いていない

いつの間にか遠い昔へ戻ってしまった友人
でも遠くへ行ったのは僕の方だった
演出が少しずつ崩れていく
本物の血と本物の光が与えられ

仕組みは或るのに論理の無い
溺れた虎は確かに血を流している
それを眺めて共に祈った

まるで揺蕩う海の月を絵に変えてしまう様
見殺しにしてしまう
此処にある本物は僕らだけだったのに

海に光を与えたのは君かもしれない
遠くからの記憶と悲しみ
君は全てを本物にしてしまった

行き違いだらけの舞台
行き場の無い命を抱え
僕達はいつまでも悲しかった