ドッペル原画展

眩暈


 私が誰かを信じる時はいつも全身全霊で、裏切られた時は命の一部が欠けてしまう感覚のせいで呼吸が苦しくなる事を誰にも言った事が無い。私の命はもう何度も欠けていて、実際に見る事は出来ないけれど、あと五回くらい欠けたらきっと消えていく。信じていたのに、同じ質量の気持ちじゃなかった。信じていたのに、あまりにも私が個人的で、誰かと一緒にいてもいつまでも精神的に一つになる事が出来なかった。私が生活に求めているのは、精神的に一つになりたいという事だけだった。他人と自分の間にある深くて広い境界線を越えなくては精神的に一つになれない日々が、いつも怠惰で陰鬱で、毎日をくだらないものにしていた。でもそれだけが大切な事だった。

 境界線を超えれば日常は渇いている。今までずっと好きだったはずなのに、せっかく境界線を超えたのに、その先には空虚な時間だけが続いている。好きだった記憶すら消えかかっている。何かと精神的に一つになるには、気持ちと日常を捨てなければならない。一つになる代わりに、幸せの中にあったほんの少しの悲しみと他人の悲しみが全部凝縮されたような、苦痛の時間を知らなければならない。もっと早くこんな時間の事を知っていたならば「精神的に一つになりたい」なんて事考えられない心を選べたはずなのに。何も超えようとしていなかったあの時は良かった。あの時がずっと続いていれば、私は強くて一人でも大丈夫な人間になれたかもしれない。今思い返せば精神的に誰かと一つになれたような感覚を知ってしまったせいで、私は一生私自身には戻れなくなったと思う。でも今では何かを超える事が以前のように気持ちの良い事であると感じる事が少なくなった。何かを超えた先にあるものは、全て私の心に残らない無駄な物だと思っているからかもしれない。もう思い出が更新されない日々、もう元には戻れない日々の話。私が一生私自身に戻れなくても、そのままでもいいよと誰かが連れ出して、一緒に居てくれればそれだけで気持ち良くなれるような、鈍い頭が痛い。


『私は生きながら、経験した出来事や聞こえた音の景色を、全て丁寧に録画していたつもりだった。録画を見さえすれば、忘れてしまった楽しさを、息が浅くなる程の眩しい思い出を、確かに過ぎた時間として受け入れられると思っていた。自分でさえも過去にはこれほどの眩しさに包まれていたのだ、という紛れもない夢のような事実を知ることで「ただ今が狂っているだけなんだ」と安堵する為の録画だった。確かに私の今は自分でも病気に犯されたのかと思うくらいに日常が頑張れなくて、先の事が考えられず、いつも苦しくて誰かに頼っていないと押しつぶされそうになる。鈍い頭がぼんやりしていて、身体が浮かんで飛んで行ってしまいそうで怖くなる、だからこそ思い出や過去に過ぎた確かなあの時間を求めている。一緒に駄目になりたかった、再生の風景を見た後の私の目には何も残らず、眩しい風景は1秒も見当たらなかった。私には何一つ思い出が用意されていない様な気がした。録画されていたはずの映像が機械によって勝手に編集され消されていたのかもしれない。おかしいなと思いスローモーションでもう一度再生の風景を見ると、再生の風景というアルバムを初めて聞いた時の風景が居た、少しだけ眩しい風景だった。単に再生の仕方が猥雑すぎて、大切な物全てを見逃していたのだ。時々眩しい風景を交えながら再生があっという間に終わると、くだらない映像と繰り返しの行為が膨大な時間となって何かを満たし、炸裂しそうな勢いを持ったまま映像を乱していた。もう録画する容量が残っていない様に感じられた。これ以上同じ映像が増えれば、もうその映像は録画される事は無いだろうと思った。何度繰り返しても、何度録画しても、私は何も変化する事がもう出来ないからだ。此処から先の人生は録画される事の無い付け足しの無料放送の様なものだと認識する事で、乱れた映像は次第に元に戻っていった。』


 何かを超えた時に感じるのはこういう映像の乱れと意味の無い放送の事だった。私は最近ずっと意味の無い映像の中に居て、明日には全て消えてしまう儚い出来事を諦めて、苛々しながら耳を塞ごうとしている。眩暈、

 映像の中にはこれからの事に対する示唆が含まれている様に感じ、示唆らしきものを抜き出していくといくと、あれは一体何だったのだろう?と思うような光景が大量に見て取れた。というよりも、再生の風景全てが示唆だった。初めから最後まで全く意味が分からず、何が起こっているのか検討がつかなかった。不登校気味だった生徒の母親に「あなたのおかげでうちの子が学校に通ってくれるようになったのよ。ありがとう」と突然感謝されたけれどあれは一体何だったんだろう?雨の日に図書館で本を読んでいたら、体中を雨で濡らした母親が入ってきて「ここで何してるの?」と泣いていたのは一体誰のせいだったのだろう?仏壇の前で土下座させられながらごめんなさいと言った日の夜、真っ暗な山の中不安定な道を車で走っている風景、蒸気した肌を包んでいる青いストライプのワンピース、隠された制服、全部一体何の為に起こって、何の為に今でも私を苦しめ、眩しい思い出を隠していくのか分からなくなった。以前読んだ小説に「日常は示唆で溢れている」という様な意味の台詞があり、私はそれを素直に受け入れていた。示唆は思い出、再生の風景でしかない。

 思い出に対する責任は、誰がとってくれるのだろうか。確かに過ぎた時間のせいで、私の今が狂っている。私の今に対する責任は、全て思い出に、沢山の示唆にあるはずなのに。あの時私はあまりにも人生を軽視して、どこにだって行けるような気持ちを抱き続けてしまったのだ。沢山の示唆を見逃したまま一生戻れない。確かな時間を一緒に過ごした友人の名前すら今では覚えていないなんて、思い出に対して無責任だと思ってしまい、そういう細かい意味の無い罪悪感ばかりが、胃の奥に溜まっていく。これから先は録画される事の無い様な価値の無い物だと思える程、本当は私はまだ何も頑張っていない。その事に気付いているのに何も頑張れないのは、単にくだらない日常から抜け出すのが面倒で怖いからだ。精神的に一つになろうとする時の、あの丁寧に溺れる感覚が癖になっているからだ。毎日溺れようと目眩に耐える日々の中で、自分が駄目になっていく景色を、私をこんな風にしてしまった示唆へ見せつける行為に堪らなく興奮してしまう。

こういうの気持ちの事をなんていうんだっけ?