ドッペル原画展

水辺

骨から血が出ることはありえるのだろうか?
痛みもなく、怪我の気配もなく、血の出処もないのに、足首の骨から血が止まらなくなっている。急いで日陰に入り、ハンカチで拭った、止まらない血が怖い、こめかみが痛む、丁寧に溜息を吐いて、視界が曇ると、なんだか一気に死が近くなる。


死が近い時は夢で見た大きな月の光を思い出す。紫色と青色の光が反射する細い川の上、浮かんだ小舟から大きな月を見ていた。枝垂れ柳が頭に触れていた、枝垂れ柳が頭に触れている私を私は眺めていた。この景色を、夢の中を、誰も知らないという事実に私はいつも驚く。夢は正真正銘自分だけの秘め事だと思っていた。自分だけの夢、その中でしか人は独りになる事が出来ないとすら。自分以外の誰もが知らない、あの大きな月の光を映像にしてみたい。そう思ってなんとか夢を映像にする。完成した秘め事を君に見せたら言われるのだ「これどこかで見たよ、どこかで、そうだ、映画の景色だ。僕の大好きなシーンだよ」夢は記憶の中で作られる。自分だけの物なんてこの世に何一つ存在しない。思い出も、自分だけの世界も、全ては他者との共有物だ。一つだけ独占できるのは、自分の体内にあるものだけである。血だけ、血そのものだけ。

痛みも無く足首から血が滴るのを見ている。意味の無い血液、痛みの無い血液、血が止まらない皮膚の表面を指先で触れても血液の原因が見つからない。何の為の血なのだろうか?痛みも原因も怪我の気配もなく、ただ血が突然骨から皮膚を通して湧き出てくる異様な状況が、とても大変な事に思えて、いつもの不安定が始まってしまう。終わりが近くなって、急に始まりも近づく。それは、死が近づいて、生が近くなるのと同じ事だった。全部同じに見えた。生も死も、良い事も悪い事も、好きも嫌いも、全部が同じなのだ。スマートフォンが重い意志で、治りかけの感染症がまた熱を帯びて喉元を溶かしていた。身体の中で地震が起こっているみたいに揺れる感覚と一緒に、私だけの血液が私から意味も無く出て行く様子を見ていた。私の中から私が出ていき、少しずつ居なくなっていく様子をただ眺めていて、視界の中では逆さまになったペットボトルからの水が足首を濡らし、水滴が垂れる映像があった。地面には小さな水たまりが出来上がり、水辺は少し赤く見えていた。


夢の中を誰かと共有したいという気持ちは、内側に秘めている自分だけが知るそれを、開放させたい気持ちと似ている。結局しかし、夢は自分だけの物では無い場合が多い。私が見た大きな月の光の様に。誰にも知られてはいけない類の異常な気持ちを敢えて見せつけ、気持ちが良くなる不純な行為は、夢では体現出来ない事が殆どなのだ。ならば、血ならどうだろう?血液という唯一自分が独占できるそれが、勝手に外側に出て行ってしまうのは、不純な行為に似ているのだろうか?私の中にある秘め事が開放される、誰にも知られてはいけない類の感情が血に混ざり身体の外へ逃げていく。その様子は私の中に私が居ないと感じる原因に結びつき、簡単に私を混乱させた。感情が溶けた水辺を指先で掻き混ぜ、何もかもが汚いと思った。

何もかもが汚く、そして不純であり、正しい順番や大切にするべき物事の並べ方と順位付けの方法が分からなくなっている。何もかもが汚いのに何もかもが眩しく見え、全てを大切にしたいと思えば思う程、全てが全く大切では無い物だと勘違いしそうになる。部屋の明かりすら眩しくて目が壊れそうになり、目を閉じながらここ最近の感情は否定されるべき物だったと思い返している。何かを感じる事が罪になってしまう気がし、39度の熱が出ても何も感じないまま救いを求めた。沢山の感情を詰め込んだ人々、人の気配が私を一番混乱させてしまうのだ。混乱、罪が怖い、取り戻したい、内側から逃げていった血液と、そこから出て行った沢山の感情を、一つ一つ思い出せば全て外に消えていた。そして外に消えた感情なんてそのまま忘れられていた。私は私に忘れられた。


空になった身体に、出て行った血液の代わりに、いけないものが入り込む。そうすると満たされ、私は消えた私を取り戻す気力すら「無くていい」という気持ちになる。本当は必要なはずのものでも要らなくなる程の匂い、呼吸、液体、感触、君の全てが私の何処かで居場所を作り、少しの水辺を泳いでいる。

私から大切なものが吸い取られる代わりに、水辺に泳ぐ魚が増えている。溶けていってしまいそうな魚、尽くしても尽くしても、満たされてはいけいない場所が満たされて、私の身体は空のまま軽い。水辺、 泳げなくなった私の代わりが、赤くなって足首から滴っていたのだと分かると、不安定な揺らぎは消えていた。知られてはいけない類の感情を受け取っている、解読もせずに、秘め事を交換し合っている。 水辺ばかりが大きくなり、その中で透明な魚が泳いでいる。それが赤い色を帯びるまで。眩しさから逃れたい。