ドッペル原画展

日記

 

 

 

関わる人間全てが嫌いなあの人の顔に似てきている。

特に「醜い物」は全部あの人になっている。似ている人や物に対する私の対応は酷いものだ。ただ似ているというだけなのに、嫌いなあの人との区別を付けられず、好ましくない態度を取ってしまうという終わりの精神なのだ。このままだと全ての人間がそれになってしまう。怖いけどどうする事も出来ないし、そうなってしまう事を誰にも止める事が出来ない。私はそのうち嫌いな人に囲まれ、目を向ける場所も無くなり、そして何処にも行かない。息苦しくない範囲は自分より内側だけになるだろう。

何の目標も無く生き続けているが、少しの失敗も許せないため、走っている。失敗を許せずに走った私を早く忘れて欲しいと思う、早く全員私の奇怪な行為や表情、言葉を忘れてほしい。存在を忘れてほしい。注目されたくない、何も聞かれたくない、全部偽物だから、何か聞かれると表情が強張る。

 

私には生き霊や怨霊が憑いているらしく、この間知らない女に読経を唱えられた。電車に乗っていると聴いていた音楽越しに人の話し声の様なものが聞こえ、周囲を見渡すと目の前に居た女の月目が私を見つめていた。女の口は笑っている時の口の開きで、口内で唱えられた読経が能面みたいに張り付いた顔の向こう側から出てきている様だった。女は突然諦めたように首を擡げ、そしてすぐに背筋を伸ばし、もう一度私に笑いかけながらぶつぶつと読経を唱えた。唱えられた私は怖くなり、そしてその怖さを回避する為にお祓いをしてくれてありがとう、という感謝の気持ちをあえて抱いたのだった。一番怖いのは生き霊でも怨霊でもなく、その読経が私の幻聴だった場合である。

 

なんか動きがないとか言われたけど、それって小説なんだから当たり前じゃないのか。

 

正直私は何も考えてない。

本当に心底どうでもいいことを、あたかも一番大事なことのように思うことが出来る どうでもいいことをどうでもよくないことだ思い込むのではなく、どうでもいいことと頭ではっきり解りながら一番大事なことのふりをして、そのふりをしている自分を見て嫌な気分になっている そして、私は嫌な気分から自力で抜け出す力が無いから、本当は心底どうでもいいことでも、そのことに対して本気で悩み、本気で泣いて、本気で死ぬことだってできる 頭では意味の無いことだと解ってるくせに本気で悩んでみたりする自分に永遠苦しめられる その状態は私を酷く嫌な気分にさせるから、私はそこから抜け出すのが難しいのだ どうしてわざわざ嫌な思いをしたがるのか、どうしてわざわざ辛い思いを選ぶのか、そうしないとバランスがとれないからだ 楽しい思いや良い思いをした後は必ず自分を戒めて清めないと気持ちが浮ついて体が宙に浮いてしまいそうになる 辛い思いを思い出して気持ちを元に戻そう、私嫌な気持ちから抜け出す為に環境を変えたりは決してしない 痛みの伴わない環境の変化は今まで一度だって無かった 二度と行けない場所、二度と見られない風景、漢字、ゲーム、今我慢して辛い思いを乗り越えたらその後に美しい生活が待っている?乗り越えたくない 早く自分は諦めればいい、早く自分は消えればいい、早く早く、という気持ちだけが本物だとしたら、私は一体何を考えてるんだろう 

 

なんで生きてるのか分からない人間ばっかりだ。

なんで生きてるんですか?

人を平気で傷つけたのに、気持ち悪いのに、なんで生きてるのか分からない

何故平気でInstagramとかできるんですか?

皆さんにInstagramTwitterをやる資格ってあるんですか? 

どうして生きてるんですか?

 

 

レディオヘッドのparanoidAndroidいい曲だな

でも車内で聴くと大抵良くない

一人で聴くのが一番 

どうでもいいことなんて1つも無い