赤い線が道に延びていくのが見えた。その線は川に沿ってうねり、途中で枝分かれしながら何処までも進み続けた。まるで体中に流れる血管であるかの様に思え、私が私の体の内部に入り込んでしまったのを想像した。見えない位に小さくなってこっそり体に入り込めたら。その時、寂しさはどの程度に収まるのだろうか。どの程度で済んでくれる寂しさなのだろうか。あるいは、私は何も感じないかもしれない。大きく暗い体に包まれ、安堵するかもしれない。「クジラに食べられたい」という歌詞の音楽があったが、今ならその気持ちも分かる。どうしようもない暗闇の中で私は寂しさを感じることができない。私の寂しさは私自身が感じているというより、寂しさ自体が意志を持ち、最大限にその性質を発揮しようと蠢いてるように思えるのだ。寂しさが無理やり寂しさを作り出そうとしている。つまり、私はそこまで不感症になってしまったのだ。不感症で、使い物にならない心が、首からぶら下がっている。そして時々延命治療の如く景色を撮るのだ。周囲の木々や小石、車やビルですら使い物にならない臓器に思えた。
でもこれらの妄想はあながち現実的であり、間違っていない。私は私の内部に生き、いつも閉じられているのだから。そして何も機能しない、使い物にならない物質に囲まれている。doing nothing is doing ill(何もしないことは悪事をしていることになる)を座右の銘にしたばかりなのに、こんな状況はとても悲しい気持ちだ。だけど少しだけ幸せにも感じる。
光、と題して景色を撮った。赤い線は夕日の光であったらしく、あまりにも眩しかった。写真展が近いのに最近は全く写真を撮っていなかった。というよりも気付いたら撮っていなかった、というのが正しい。代わりにスマートフォンで適当な写真を撮ってインターネットに公開している。世間の皆さんはこの程度の写真で足りるのだ。改めて、写真展が近い。左目の痙攣が止まらない。使い物にならない指先は瞼を強くこすり柔らかな球体を潰そうとしている。使い物にならない心が次第に重く、首から下げておくのもうんざりしている。この重さで首が吊られてしまう気がした。地下鉄に揺られている中そんな感覚がして、眩暈、座り込んだ先に捨てられたタピオカ屋のプラスチックゴミ。
タピオカ入りのミルクティーを飲み気分が少しばかり回復した。紀伊國屋書店で心理学の本を立ち読みしたのだが、歪んだ人間は自分が見たくもない情報や見るべきではない情報をあえて選択してしまうらしい。インターネットなどを見る時、きっと指先が言うことを聞かないのだろう。この知見は本屋で立ち読みなんて本当はしていない私自身の持論か、それとも心理学的に証明された本当の話かどちらだろうか。少なくとも私は見るべきではない情報をあえて目にする行為を何度も繰り返してきた。繰り返しすぎて壊れてしまった。だからもう我慢はしないことにしたのだ。これ以上壊れる隙が無い。入った喫茶店には不快な音楽が流れていたので、コーヒーとモンブランを注文したもののそれが来るのを待たずに店を出た。これは犯罪になるのか?でももう我慢はしないと決めたのだ。家に帰ると途端に首からぶら下げた心が重く、机の上に置き金槌で滅茶苦茶に壊した。息を思い切り止めながら、破壊した、粉々になるまで叩いた、私は今日生きていた中で一番笑顔だった。夕日の眩しさを見たときよりも、タピオカミルクティーを飲んだときよりも、ずっとずっと嬉しかった。興奮のあまり、何故か汗すらかかなかった。指先が冷え、口内は乾き、下半身に力が入らなかった。シャワーも浴びずに横になった。このベッドも愈々不快だ。私は砂浜で眠れば良いのか?頭の中がいつも疑問で一杯になっている。声にならず、自分の外側に出ない疑問ばかりが頭の中で飛び交っている。全て、終わってくれないか?早く楽になりたい。中々寝付けないが、砂浜で眠れば良いのか?不快なベッドはあのシーンのせいだろうか?不潔な布と不潔な猫を思い出すと私は眠れなくなるが、結局眠れているのが事実。
あれ、眠れている、と思った時、知った顔の人間が何人か集まっていて、私の席あたりでなにやら騒いでいる。その騒ぎは私が騒ぎに気付くずっと前から起こっていたことであろう。いつもそうなのだ。私は、私が知らないうちに始まった出来事に出遅れ、途中参加を強いられる。始まりを知ることなく、大体が終わっている状態で与えられる。終わりばかりが与えられる人生を生きると、どういう気持ちになるか想像できるだろうか?既に起こってしまっていたのに知る機会を逃した何かへの恐怖。自分の純粋すぎるほどの無知さが悔しく、恥ずかしく、どうしようもなくて、終いには「なんておめでたいんだろう!」と呑気な無知を祝福すらしてしまう、自分だけが死の危険を知らされていない様な恐怖。ああ、これは恐怖を象徴した夢だ、と今分かった。騒ぎの輪の中を覗くと、やはりそこには私が死んでいる。こうやって死が既に起こってしまっているのに、それを知らないまま生きるのはあまりにも呑気すぎるのではないか。騒ぎを知る前から、ずっとずっと前から、私は既に死んでいたのだろう。この騒ぎはもうずっとずっと昔に始まり、ずっと前に完結していたのだ。私以外の人間が私より先に私の死を知っている不愉快さと恐怖。騒いでいた人間達は遅れて出てきた私に怯え、何処かへ消える。一人になった私は私の死体と対峙した。結局そして、それを放置したまま帰ってきた。明日になれば誰かが処理してくれるだろうなと思ったから。そして湯船に浸かった。暖かくなった体を丸め、夢の中で夢を見た。最も、明日なんてどうでもいい。今より先に興味が持てなくなった。と思いながら深い眠りについた。そして突然目が醒める。
「本当にびっくりしたのよ、あなた夜中に突然起き上がってどこかにいくから」と顔をレースで覆った女が言った。「しばらく見惚れていたらタオルケットを持って浴室へ行ったの。浴室で寝たかったのね」と顔をDiorのシルクスカーフで覆った女が言った。
私は素直に、は?ふざけるな、と思った。ベッド以外の場所で寝たい訳ないだろう。どうして声をかけてくれなかったのだろう。「あなた砂浜で寝たほうがいいのよ」私は何故ここで「砂浜」という単語が出てくるのかさっぱり理解出来なかった。
起きると私は水の無い浴室の中に居た。そして知らない二人の女が居た。彼女達は私の為に朝食を用意した。破壊した心は無花果と一緒にお皿の上に盛り付けられており、とても綺麗に見えた。
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