ドッペル原画展

日記

( 1 )長い夢を見ている様だ。200頁の論文をA4用紙1枚に纏める事が強制になった春の水曜日から、思うように頭が動かなくなっていた。

頭が思うように動かないと人間は何一つ自分の意思で行動が出来無い。脳は心であり、心は脳であるからだ。そもそも、心という場所は最初から何処にも存在しなかった。心を気持ちの保管場所として考えるにしても、保管場所としての空間は存在しない。保管されるのも、気持ちが作られるのも、常に同じ頭で繰り返されている。作られた気持ちを保管する場所としての空間は最初からずっと脳の中に佇んでいた。別の所へ逃げたりしない。心なんていう架空の空間へ、自分の意志を捨ててはいけない。

それでも私は常に架空に負けている。
私の気持ちは脳へ留まる事無く、永遠に架空の心へ逃げて行ってしまう。気持ちの多さに心が追いつかない、思うように気持ちをコントロール出来ない。悲しくないのに涙が出た時は、素晴らしいだけの景色が見たい。

「素晴らしいだけの景色なら俺んち!」と言って餃子を掴んだままの茶色い猫が私の肩に飛び乗ってきた(ここは笑う所)

一応その猫の家に行ってみると、
他にも素晴らしいだけの景色が見たい人が大勢いた
大勢の人は手で目を覆っていた

気持ち悪い光景だと思った
わざわざ景色を見る為に赴いたのに、
どうして目を伏せるのだろう?

私は猫の部屋を見渡した
畳の広い和室の襖の奥から風鈴の音が聞こえる

日本画が描かれた襖を開けると、
そこには風鈴と一緒にぶらさがる大勢の人間がいた

他人の視線を感じて上手く景色が見れない
私はどうにかして心を無くさないと


( 2 )水に濡れた髪を鏡の前で乾かしながら、鏡の前の人間の目が少しずつ赤くなっていくのを観察していた。餌をわざと与えられずに醜くなった可愛げの無い兎の目みたいだった。細かい赤い血管が真っ白な眼球に浮き出る。粘膜の上に水分が溜まって、溢れそうになった所で私の瞼が閉じた。架空の心が何処かに消えて、気持ちが脳に戻るまで、閉じた瞼は一向に開かれる事は無い。それを祈っていた

祈りは間違えだったのかもしれない
私は必要のない事ばかり覚えてしまった
間違った祈り方、人を遠ざける言葉

瞼は一向に開かれなかったのに、
心は何処にも消えなかった

何一つ、何に対しても後悔したくない
心という架空さえなければ
物事への感情を知ることもなかったと思う

でもそれだと悲しい
今までの事は本当にただの長い夢だったと理解した時と、
同じくらい悲しい


一体今まで何の夢を見ていたのだろう?
どうしてずっとそんな事をしていたのだろう?
悪い夢なのか、良い夢なのか、
それすら一生分からない
今更夢から醒める方法も殆ど分からない


私は生まれる直前まで、
多数の心臓抜きを読んでいた

これだけ誓いを交わしても