ドッペル原画展

信仰

 

アスファルトの上で揺れている影がゆらめいて、まるで波打つ海みたいに見える。その影の一番黒い一点に視線を囚われ、目線を逸らせなくなってしまう様な周囲の静けさ。空を眺めたいのに、私の中の何かがその気持ちに反抗して怒りを覚え、黒点に縛り付けている。周辺で揺れる波は緩く、ゆっくりと、ひだまりの中で眠っている。温かいのに冷たそうに、あるいは冷たいのに温かそうに、嘘をついているように。

見つめ続けたその先には何があるのだろうか。そこには混乱が待っているように思う。何の意味にもならない黒点は、ただの空洞であり、私の中の様々な感情を吸い取る装置に過ぎない。感情は映像と共に想起され、その度に間違いや後悔に気付き、多くの混乱を招くのだ。何度も同じ映像がリピートされ続けて渦巻く。目の廻る螺旋階段の様な状況がどこまでも続いていく。螺旋階段は、揺れる海の中へ沈んでいくのか、空へと昇っていくのか分からない。私は次第に黒点と同化し、何処に居るのか分からない気分になる。空/海へと落ち/昇り、海/空へと昇る/落ちる。自分の身体が溶けていき、存在が消えていくようだ。しかしその留まることを諦めたような浮遊感は、精神を和らげ、私に深い安らぎを感じさせる。まるでösterreichの音楽のようだった。

österreichの音楽は私に多面的な感覚を与え続けている。水底に沈んで行くような感覚もあれば、天国へ昇天して行くような感覚もある。眩しいひだまりに包まれているような暖かさと、これ以上無い程暗い場所に、たった独りきりで佇んでいるような寂しさも同時に存在する。両面的でアンビバレントな音楽は、時に不安定であり、常に繊細である。ピアノの旋律と同じくらいに滑らかで、指の動きが想像できるギターの音は、リズムを乗せて駆け回る。時折聞こえるバイオリンの音は優雅に水面を泳いでいる。その流れを汲むように深く響くベースの音。水面に反射する煌めきに似たピアノの音は光。マロックでありながら、高尚で、崇高な、賛美歌のような曲。

その神々しいメロディだけで感覚そのものになれるのに、歌詞が私にとっての聖書であるため、まだ逝く訳にはいかないという気持ちになり一文字、一文字を噛み締めて聴いている。

回らない風車、回らない鍵、ウユニの水底

子宮の町、母に成る病、造花の心

ありふれた病院光溢れて泣いている

間違えたまま産まれてきたね

産まれたこと恨むたび光の様に笑えたら

穏やかな地獄、綺麗な未来、祈りに似た言葉

象徴のように現れる言葉達。私にとってösterreichの音楽はあらゆるものの象徴だ。thecabsの歌詞も好きだが、österreichはそれ以上に象徴的である。日々の象徴、人生の象徴、だからこんなにも胸を締め付ける。

「象徴的」というのは、「私の細かな生活を、抽象的に、別の世界の別の状況で表してくれる言葉」というような感じである。私の中にある遠い記憶が、それに付随する映像ではなく、österreichが(メロディーや言葉で)作り上げる映像で想起されるのだ。その時の胸に溢れる懐かしさ。寂しさ、嬉しさ、あたたかさ。次第にその時の香りまで思い出させる。これほどに私の隙間に入り込んでくる音楽は、他には無い。聴く度に、美しさで満たされる。

2020年は、こんなにも愛している音楽を生で聴けた年だった。ライブの様子を記録した映画も観ることができた。それだけでなく、映画館でösterreichの高橋國光さんに会えた。理由も無く会える気がして、CDの特典についてきたポストカードとペンを持っていったのだ。本当はプレゼントも有ったのだけれど、それはさすがに気持ち悪いだろうと思い置いていった。ずっと貴方の作る音楽が好きだということ、これからも応援しているということを(感極まって泣きながらも)直接伝え、サインまで頂いてしまった。彼がどんな人間であろうとも、音楽への愛は変わないだろうと強く感じだ。とても嬉しかった。あの時のあの瞬間は、これからもずっと私の励みになると思う。まさに華々しき瞬間である。

 

Listen to ドミノのお告げ by österreich on #SoundCloud
https://soundcloud.app.goo.gl/A8kK

 

Listen to caes by österreich on #SoundCloud
https://soundcloud.app.goo.gl/gdZ1

 

 

 

最近読んだ本

フライデー・ブラック ブレニヤー

i  西加奈子

ギリシャ神話入門 長尾 剛

セリー 森泉岳士

明暗 夏目漱石