ドッペル原画展

日記

 

互いの皮膚に血痕が無数に落ちてゆく映像を見て、それは血縁関係に対する罪の描写であった。美しいけれど何一つ満たされることのない日常を疑うことなく受け入れる。他者の優しさは単なる押し付けで、愛情は見えないところに悍ましい痣を作る。

何も知らない周囲から見ればこれが最も正しい営みであれば在るほど、私自身が見ている現実は嘘で固められた造物に成り下がってしまう。こんなにも消耗して、壊れるほど無駄な思考をし、見えない敵に勝ち続ける必要が何処にあるのか。全てが間違っていてこれ以上醜くなるのが恐ろしく惨めだと思う。頭が色々な思考で休まらないのに、その思考ですら「見せかけ」になり、今ではもう一睡も出来ない夜のほうが日常よりも耐えやすい。暗闇の中に浮かぶ砂のような粒子が残像のように点滅し続ける夜がとても永く、私はあらゆるものに負けてしまった。一度死んだ頭は、もう二度と生き直すことが出来ないのだと直感する。その大きな真実の掌中で、延命すらもコントロールされているようだ。

音も無く糸が切れる。手繰り寄せる術も無いまま空中で何かを探す。やっと触れたものは本当に欲しかったものではなく、私はそれだけを手放すことと引き換えにそれ以外の全てをも喪っていく。この閉鎖的連鎖から逃げ出して全てを終わりにしたい。

あり得ない頭のままでも生き続ける為にはなにかを信じることが必要になる。それは抗えない欲求であり、今でも誰にも悟られないように、こころから信じられる本物を求めている。人間性ですらどうでもよくなるような本物を生み出せる人が存在する。そんな人と一度でも悪夢のない深い眠りに就けたなら。本物だけを抱きしめられたなら。それ以上のしあわせは無い。

 

 

・春その他の季節 

良い小説。特に雨季が好きだったのですが、読み進めていくと「アンシュルス」や「カナリア」が急に登場したので、これらのワードが無条件に好きな人は是非読んでください。

 

伊藤整全集からおすすめをいくつか

・皮膚の勝利

・アカシアの匂いに就て

信じられないくらい良い。硬い文体の中に滲み出る情緒的センス。よいタイミングでよい台詞。あざとい。

・潜在意識の軌道

・緑の崖

・生物祭

これらも良い。噎せ返る死の匂い。頭の奥から痺れる。苦痛を忘れて何よりも気持ちが良くなるのでずっと吸い込んでいたい文章。結婚して。

 

・吉村昭全集

歴史小説が多いのですがそれではなく初期の短編等が本当に好きで。全体的に死の匂いがすごいのですがそれが無性に美しく清々しく、日々助けられています。

 

・性と宗教

・タントラの世界 

身体的ではなく脳的な性的興奮逸脱に純粋な興味があり。無我の境地に届くような小説を書くためにも勉強してるので他にもお勧めあれば教えて下さい。(この方向に詳しい人存在するのか?)

 

 

入水

 

海ではなく深い河を選んだ。春になれば水温が上がり身体が芯まで冷えにくく、溺れながら見る桜が綺麗だと尚更良いと男は言った。諦めることは皆等しく当然の出来事であり、必然的に私は名前も忘れた男との入水を試みた。水の流れはしかし、馬鹿げた遊びを許さないかのように緩やかであり、私達の身体は少しも流されることがなかった。重く水を含んでいく衣服が身体に絡みつき、上手く動けずに私だけが取り残されてしまうかと思ったが、男は慌てて手を引き川岸に持ち上げた。余計な事をした男は思い切り笑って、本気で死ぬつもりなど毛頭無くこれはただの遊びであったのだと言い、私に感想を求めた。何も言わない身体はいつまでも抱きしめられていた。それぞれが自傷しながら抱き合えば、傷付けることは無く、傷付くことも無いのだと思った。

川辺りで服を脱ぎ捨て、男は清潔な服に着替えたが、私はそのままその人が運転する車に乗って帰った。冷たい肌に触れる柔らかなストールが妙に用意周到であり、仕組まれた行為に私は興醒めした。どうでも良いと思い、意味の無いことすら考えられなくなる薬は飲める分だけ飲み、天井にぶら下がる剥き出しの電球を見つめながら男の背中に触れていた。私がどれだけ揺れても電球は月のように決して動かず、覆いかぶさる重さ自体が月の質量の様に思われた。同時に、いつかそれが落ちてくるのではないかという恐怖に襲われた。違う、月はきっともっと軽い。綿のように軽く柔らかく、少しずつ口の中を満たし、私をゆっくり殺す。月の重さを知っている?本物の月ではなく、私達の月の話を。目でそう訴えるが気付かない男の汗が口許に滴り、他人の肉体を制御出来ない頼りない自分に涙が溢れた。私の身体は薬によって脆弱にふやけていき、貪るだけの、かたちの無い――、

深い河は暗闇の中底無しであり、月の光を反射する水面が煌めいていた。コンビニで買ったばかりの鋏で髪を切り、綺麗に揃え、紙で固く結んだ。鋏を川辺りに残したまま階段を下り、それを水面に浮かべる。スマートフォンのライトで照らされながら今度は上手く流れていった。

もう手の届かなくなった場所で紙が途切れてしまう。髪がばらついて広がってゆくのが見えた。背後から二本の白い腕が伸びてきて、首元に鋏の冷たさを感じていた。

 

 

 

最近読んだ本↓

・ヴァージニアウルフ短編集 

象徴の畳み掛けが素晴らしい。会話や構成よりも先に表現が来て、それに対して読者が感じた感覚で小説世界を創り出していくような。詩を頭の中で読みつつ、別の場所でストーリーが展開されていきます。

・川端康成全集

第3巻が一番好きですね。

・伊藤整全集

眠れない時読みたくなるので実質毎日読んでいます。冷たいことを言っているような気がするけれどあたたかいのは何故でしょうか。

・もう森へなんかいかない

・死者の博物誌 密告

 

最近は公募用の長編小説を書いている。内面を吐き出すように書いているはずなのに書いても書いても吐き出しきれず、むしろ別の場所で何かがそれ以上に沈殿していくような感覚が本当にきついです。溢れ出して今にも破裂しそうなのを我慢して押さえつけながらまた元の場所で吐き続ける。根本的に耐えない心労やもう無理かもしれないという絶望が消えずにずっと泣いている。多分また精神的に何処かおかしいんだと思うと気持ち悪くなり吐いてしまった、時、胃が痛め付けられているせいか吐瀉物に血が混じっていてご自愛したいと思いました。病でも何でもなく単純に自分自身を虐めすぎました。皆さんもご自愛してください。

 

 

受胎

 

キーボードを叩く指先の動きが自分の意識と一致していない。いま此処に居る実感が薄れていくたび、自分の輪郭が溶け出して喉が閉塞する。酸欠状態の脳が重く、私はここから何度も去ろうと思った。消えてしまいたいと思った。しかしながら、私の身体は不潔な粘着性をもって環境に貼りついている。何もかもに関心の無い私の意識は背徳の香りに寓せられて深淵に滑り込むが、身体は軽く何処かへ飛んでいき掴めなくなった。何度も私が分裂して、その一部が落ちてしまっても、誰も気付いていない。誰もが私を忘れる。私もそれを無視する。

残り少ない私の身体を携えて、仕事を辞め、自分であることを辞めた。表参道のカフェの清潔な白い床に吐血し、赤白のコントラストは絵画だった。その美しさから目を逸らし逃げ込んだ、洗面所の鏡に映った女は、髪を切って波打った前髪でいて、それは絶対に自分では無い。私の身体はまた別の私を受胎している。何かにあたらしく挑戦するのとは違っている。私は別の私を孕み、今以上に厳しい環境に依存することを選んでいた。知らない怪物が私の身体に憑依している。

私の死因はいつでも、胸が焦がれ喉が渇ききってゆく憧憬である。それは誰も壊すことのできない完結的な風景であり、降り注ぐあたたかな光は私の身体と意識を少しの間だけでも繋ぎ止める。此処に居るという実感が濃くなっていき、私は息を吹き返す。身体が還ってきて意識と同一する時、私はやっと本当になる。それだけでいい。このまま時間が止まれば良い。ギターを弾く姿は眩しく、私は楽器になりたい。美しい歌声を響かせる喉元の窪みが白く眩しい。増えていく耳の中のしあわせは一瞬のものだと解っている今だけを、大切に生きている。塞ぎきっていた呼吸が彼等の音で回帰する、呼吸、いま身を持ってその意味が分かる。

解離性が一瞬でも善くなったあと、古い私は静かに死んでいくのだった。もうこのままではいられないという観念が私を壊し、壊されるたび、私の意識はすり替わる。

 

最近見たもの↓

・My/bloody/valentine/のライブ

豊洲PIT以来でした。誇張ではなく開演時刻から約30分ほどメンバーが出てこず、SEを聴きながらスクリーンをずっと眺める時間がありました。しかしこれは感度を高めるための事前服薬に過ぎなかったのだと後から気付きました。気付いた時にはもう手遅れで、ここだけの話一曲目で私は軽くオーガズムを感じました。後半は鼓膜が震えるほど大きな轟音が鳴っているのに何故だかとてつもない「睡魔」が襲ってきて、実質眼を開きながら寝ていました。現実に聳え立つ「夢」を魅せられていました。あれはドラッグにおけるエクスタシー。瞬間、ライブ会場は全体主義を模して一体化し、逸脱浮遊した快楽として存在していたことでしょう。

(開演前に流れていたこれが印象的)

https://open.spotify.com/track/0vPB64Pxg4QyNw11UqTTF2?si=gAD5rgHLT7SqJ7VtZEtvNQ

・thecabsとEthel Meserve

Ethel Meserveの汗の感じは国内バンドにはあまりない雄臭さだと思っているので新鮮で良かったです。thecabsはもちろん良かったですがEthel Meserveを聴いて盛り上がってる國光さんが見れたのも嬉しかったです。

・(harm)do

このブログは感想かもしれない。「胎教」を読む前にこれを書いて下書きにしていました。

「だからいま、いま、いま、いま、いま、現在、いま、今、いま、これが、この時間が、この文章が、この、この傲慢さが、この営みが、少しでも意味を持ってくれればと願っています」

私もライブを見ているとき、いま、現在、今だけを大切に生きている。彼等の営みは、私の一瞬を吹き返す大きな意味を成しています。

 

最近Animeとしない(inst)をよく聴いている。SoundCloudからは消されてしまっていますが私のように保存している猛者は仲間。Animeは國光さんボーカルでオストライヒでもやってほしいですね。本当に大好きです、歌詞も音の拡がり方もなにもかも。

 

・星の時/水の流れ クラリッセリスペクトル

一文一文が美しい。自分が書きたいと思っている文章に近く、感じ方が似ている所がある。出会えて良かった。

 

 

 

刺青

 

少し前に日/本/現/代/詩人会/に投稿した作品が佳作に入選していた。初めて投稿した。「稀有な透明感がある」と選評いただき恐れ慄き、またこうして文学に延命させられてしまいました。命綱を掴んでもらった気分になっていますが、それはまたいつもの勘違いであるのだと徐々に思い知らされていくのが怖いです。

詩の感想、怨念、cabsのライブ感想等、

下記までお待ちしております。

https://oneday-chat.com/room/?id=vgj0da0lywuq1a6iyvm5rs57du6yv4mp&hKJ7A3a4uceSkMMGYeWXJ2Q0IC13

 

まだあたたかい吊り革は
私のてのひらに絡みつくようにべたついており
皮膚から剥がれなくなったようだった


少し前に此処に立っていた誰かの過ぎた生活を
なぞった私の目線が四谷から赤坂見附へ動く一瞬


背後から光の線が差し込む


流れ出て後頭部をなぞった光は
手首を泳ぐ墨の魚骨に触れて
ほんものみたいな色にする


骨は剥奪された肉体を奪い返すかのように
私の皮膚の内部へ潜り込もうとする
一つ一つを正確にねじ込まなければならない
取りもどしてあげよう
取りかえしてあげよう
取り返しがつかなくなる前に


揺れる、
呼吸の拍子が乱れているのかもしれない
揺れる、
車体が地下へ潜り込めば
骨の色彩は黒く濁り
まるで燃え尽きたあとだった


私はまた間に合わなかった


あたたかさに繋ぎ止められたてのひらが
思うように動かなかったのだ


冷たさが欲しかった


静けさや涼しさを求めていた


夏は日差しが強い
骨が一層白く見える

 

 

最近良かった本↓

終わりなき不在  

書くことの戦場:繰り返し読みたい

あやめ鰈ひかがみ:とても素晴らしい

見えるものと見えないもの

メランジュ詩と散文

薔薇販売人 吉行淳之介 

黄昏客思 松浦寿輝︰投稿した詩を書いた後こちらを読んだのですが、詩に書いた ある一瞬の事象 において同じ情感を抱いている文章があり、どこか別の世界で交信しているような錯覚を覚えました。

 

最近は全てを「分かりきった」ような錯覚に陥ることが多い。何も知らないのに全てを知ったような感情を携えて生きるのはとても悲しく、続けていくのは到底困難だと思っています。全てを知ったのではなく、もう知るべきことなど何もないという諦観が私の事を「分かりきった」という状態に創り変えている。

 

 

風景

 

未だ夢を観ているような気がしている。

何度も耳で追いかけなぞった音がリアルタイムで鳴らされていた。極まり続けておかしくなりそうなのにギターを弾く姿から目が離せなかった。初恋の怪物と抱擁しあう姿はまるで殉教者のようで惚れ惚れし、視覚も聴覚も囚われた私は実際的に本当に「あたまがおかしく」なってしまいました。音楽を聴いているのとアルコールで酔っているのは脳科学的に状態が似ているとよく言いますが、単純に酔っているどころではなく記憶の前後が解らなくなるような異常酩酊、一番良い状態がずっと脳を侵していました。

見ている景色は早くて激しくて大きな音を出し、頭は混乱しているのに、こころのスピードは緩やかに静止していったような気がしている。感情の蓋が閉ざされ自分の生がはっきりしてくる。何も想わなくとも想えなくとも此処に存在しているという肉体だけの生。the   cabsを聴くと、灯され続けた激しい火が燃え尽きて、暗く孤独な部屋へ連れていかれるのは何故だろう。それはまるで無に還るように。歌詞には沢山「火」が登場するのにね。

そして少しだけ安堵する。やっとこころの火が消えた。自らを擦り減らして蝕んでゆく激しい火が尽きて、やっと私は立ち止まることができる。音楽が鳴り続けている間だけは誰も傷つけることがない。瞬間、私と音楽は一対一になって、いつの間にか自分のことを外側から俯瞰している。感覚そのものになってしまうというのはこれである。それでしかもうひとときも満たされないのかもしれない。

沢山のひかりのなか産声をあげたanschluss、わたしたちの失敗のベースは釘付けになりましたもう一回何度でも見たいです、CDじゃない國光さんの肉声のシャウトになりたいですそれが無理ならギターになりたいです、花のようにのドラムの音ですべてが進行する美しい悲しいしあわせな映画の話をしたい、

届かない景色をいつまでも檻の中から観ている子供の感覚そのもの。憧れて眩しくて美しい光に触れられずに枯渇してゆく。火もなく水もない、呼吸もできない。だから私は、自らの意志で0から生き直す為に一刻も早く小説を書かなければならない。呼吸できる場所をこの手でちゃんと構築しなければならない。そう思うと何故だか涙が溢れ、またあらゆるものが眩しくて息ができない。

こうやって私が生きるべき所以や義務を掻き立てるほど美しく嫉妬するほどに眩しい景色。それはとても懐かしい再生の風景であることは確かだけれど、あたらしい誕生の風景でもありました。

あたらしい、それは本当に新しいもの。残像だけが残り、あの時の彼らとはきっと全く違うのだろう。過去が未来を塗り替えていくのではなく、未来が過去を塗り替えていく、不思議な羽化。

おかえり、はじめまして、ありがとう、the   cabs。

 

march#30とかタッチが聴ける日はいつか来るのかな。死ぬまで沢山ライブに行きたい。

 

開演前に聴こえたこれが好きでした。途中、Joy Divisionが憑依しますよね?

https://open.spotify.com/track/0UckWRUNYM6o0C3D0ihWPM?si=yziEqWr1T-qvNMZlHp_eTw

 

 

 

 

 

水脈

 

 

病院の中庭で眼前に座る主治医は、白衣の下に何かの英文が羅列されたTシャツを着ていた。脱いだとき文字を追うと一瞬でカートコバーンの遺書だと解った。私は何かを食べたくなるとそれを読み返す習慣があったからだった。私達はどちらもかなりセンスがないと思った。生活ほど不潔さを齎すものは中々無い。全てを委ねたくなる程に大きな達観は恐ろしく、私の最期まで見透かしているであろう全能感は暴力的とも捉えられ、それはとても心地が良い。聖書らしい雰囲気の喫茶店で飲んだコーヒーの香りは黒く濁り、揺れる深淵の景色をくだらないものとして認識している虚ろなその目で観察されると身体は硬直し、全てを委ねても良いような、むしろそうしなくては許されないような錯覚に陥る。それはまるで神のようだと、盲目な人間は崇拝する。

どれだけ繊細で美しい風景を好んだ昔の詩人でも、平常な睡眠や呼吸を繰り返される生命によって削がれたら、殺意や憎悪や嫉妬などが芽生えるのか考えていた。ベッドの上で読書をする私は脱力している。そんな事を考えてしまった感情を恥じて、事実を見えないところに隠そうとする。それでも本当は、殺したい感情を美しい言葉と韻律だけで、それ以上の感情の強さを以てして表現したいと思っている。そうやって人生のバグを一つずつ直していく。治していく、治していく、治していく、直していく、直ったはいいものの、おそらくその後遺症に飲み込まれ、自分で紡いだ言葉に殺されそうになるのだろう。どうやら幸せを感じる脳の装置が壊れているらしい。否、そんなはずはない。

「幸せそうな君に価値があると思ってる?」

それが彼の口癖だった。それは神というよりも、その対極にある人間の、人間ですらないものの言葉であるのだろうか。しかし私はそれすらどうでも良いと思う。人間ですらない、などと、そんなくだらないことを考えてしまったのがとても恥ずかしく、弱い人間になった気がしている。

―私は何もかもから置いていかれている気がする。

僕達は席を立って喫茶店のドアを開けた、雨が降っていて傘が無かった。私達はいつの間にか病院を抜け出し日常に呑み込まれている。豪雨の中傘もささず私を追う恥はあるのか問いかけたい。臆病で退屈な主治医は私を治せはしない、あるいは殺せはしない。濡れたら透ける他人の遺書が、それはすなわち私に対して何かを「祈って」いるということであるならば、私こそ、今、別の場所にあたらしい神を探そうとするべきである。路地の裏で冷える水溜りに、歪んだ線を弾く指の灯に、奇妙に笑う口元の角度に、届かない町の穢れた景色に、私は尚も深い安らぎを何処かに求めている。

一番”感じ”の悪い寂れたラブホテルに1人で泊まる。隣のクラブの音が反響して眠れない、雨の音さえ聞こえない。もともと雨など降っていなかったのだろう。部屋にも街に何処にも傘は見当たらないのだから。据えた匂い、地下室、空気の汚染、知らない幸せ。

何も過ぎていないはずなのに画面の中の日付が変わっている事が多い。点滴が身体から抜けきっていないみたいな気怠さがいつまでもいつまでも続いている。そのまま頭上に水槽があるライブハウスへ向かう。間違いだらけの人生でも、これを観れる時代に産まれてきたことは正しかったと思える。

 

最近鑑賞したもの↓

関心領 域:映画だけど音楽聴いてる気分になった。単館で見たせいかダイレクトに恐怖感が襲いかかり、その後のかなり大事な予定を根こそぎ忘却し死にたくなりました。

ナ ミビアの砂漠:共感性羞恥について理解しました。

田園の憂鬱

滅ぼす:上巻は退屈で全体的に見れば面白い

死神 田中慎 弥

https://www.aozora.gr.jp/cards/001563/files/52386_48197.html

https://www.aozora.gr.jp/cards/001563/files/52387_48199.html

https://www.aozora.gr.jp/cards/001563/files/52387_48199.html

 

 

生きたいと死にたいを往来しすぎて、いまどちら側にいるのか分からなくなる。ひとは結局何も変わらない、したこともされたこともなにも消えることがない、赦したいのか傷付けたいのかそれすら選べず、私はすべてを海に棄てるほど優しくはなれない。