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ドッペル原画展

寝室

誰の目にも留まる事の無い孤独
触れても壊れない孤独、強い孤独
生命力のある孤独、見られたい孤独
全部馬鹿にされてる

恥ずかしい、命日を忘れた
大切だった事を忘れてしまえばそれはただの忘れられた記憶になって、他の忘れた記憶の重なりから取り出せなくなる それが怖かったけれど今はそれ以上に全部忘れたい気持ちで一杯

誰の記憶にも残っていない自分の存在
私のせいでリストカットした女子の集団
枠や場所だけがいつまでもそこに残る
肝心な本人は誰も知らない場所で、
誰の目にも留まらない所で、
一人でるるぶ読んだ後に全部終わったって呟く
誰も居ない夜中のフードコートに忍び込んで
一人オセロやって全部終わったねって囁く

フードコートの窓から夜空を見ると、大きな雲があった 他の誰よりも知っていた人の顔に、ゆっくりとその雲が重なって、何も見えなくなる感じの重い雲の横に、眩しく光る星がある
いつ見ても同じ所にある
毎日変化無く光っていて色々と余裕ありそうでいいよね

月にも星にも興味ない
特別綺麗だと今更思わない
誰の目にも留まる事の無い孤独
誰の目にも決して留まる事が無い光
他の誰よりも知っていた筈の、
人の声が聴こえないし
もう早くお家帰りたい

命あるものは命無いものに敵わない
命無いものは命あるものに敵わない

どちらか一方にしか傾かない、
両極端過ぎる願い事が叶ったら
それはとても気持ちの悪い神話みたいな嘘

救心

 

風に吹かれてふわりと浮かんだ物が真っ白で綺麗な鳥に見えた、こんなに汚い駅の汚い線路の上にこんなに綺麗な白鳥がいてそれでこんなに優しく飛ぼうとするなんて、近寄って見ると誰かに捨てられたただのゴミ袋だった

ゴミ袋は乱暴に走ってきた電車に跳ねられて死んでる、いつも何かを考えるとき私は駅のホームとか電車の中にいる、それ以外の時何も考えられない、死にたくなる時以外何も考えられない

そろそろ目をなんとかしなければならない
最近相当目が悪い
最近相当目つきも悪いし
最近相当態度も悪い、
何もいい所ない、誰かの目を見るとその人の孤独が伝染るからそれを予防しようと心がけたら人の目を凝視する癖が直った その代わり画面越しに人の目を凝視する趣味が出来てしまった
物凄く卑猥な猫、
物凄く卑猥な猫の目みたいな人間の目

いつも思ってたけど、何も凄くない
人は誰かとじゃなくてたった一人きりで孤独に戦わなきゃいけないはずだし、誰かと協力する事は辞めなきゃいけない、協調性という物を今すぐ跡形もなく殺して誰かと何かの命を創り出す事を辞めなきゃいけない

何かに誰かに騙されて無理矢理悲しむ人
あなた達には何の美しさもない、どんなに必死になったって、風に吹かれて浮かんだゴミが真っ白な鳥に見える

光國

 

遠藤周作の「海と毒薬」九州の病院でアメリカ人捕虜の生体解剖という忌まわしい事件を細部に描いていた。日本人がアメリカ人を捕虜にして解剖したという事件において、日本人のいかなる精神性、論理的な心理がどのように働きかけたのか、そして日本人とは一体いかなる人間なのかという意味を深める小説。

この事件の背景に人間の精神性を考える時には、常に神の影があって、神の有無を考える事になる。「アメリカ人捕虜の生体位解剖」という実際にあった事件をテーマに、存在しない人物像を描く事で現実と虚構を混ぜ合わせたような雰囲気が作品から感じられた。その雰囲気からも「神」という存在が、実際に現実の中で信じられているのか、それとも「神」は存在しないのかという二極の思想が対立していた。

第二章裁かれる人々の「医学生」という話では、戸田という男が、アメリカ人捕虜の生体解剖に参加する事を決めるまでの彼の精神形成について描かれている。戸田が数々の“悪さ”を幼い頃からはたらいてきた経験によって、他人の死や他人の苦しみに無感情になった事は、アメリカ人捕虜の生体解剖に参加する事を決めた大きな引き金となっていた。

“神に与えられる罰”についてもこの章で描かれている。空襲の後に聞こえる声を聞き戸田自身が今まで感じてこなかった"罰"と向き合う事になった場面では、私自身も戸田のように今まで親に迷惑をかけた事やちょっとした悪さを思い出し、こうむる罰に怯える気分になる。この作品を読んでいるうちに強く浮かび上がってきたものは“罪”や"罰"という存在についてだった。

イエスを恐れるということは、自分に降りかかるであろう罰に向き合うことでもあるが、イエスを信じない人間に降りかかる罰の意味は一体何なのだろうか。それはおそらく、社会的な・世間的な罰であり、自分自身の良心に対しての物ではない。「他人の眼や社会の罰だけにしか恐れを感じず、それが除かれれば恐れも消える」という戸田の言葉からも、戸田が恐れているのは、イエスではなく社会の眼だけだったのだと想像出来る。

例えば、世界に生きているのが自分一人だったとする。その世界で何か悪いことを行っても、私は罪を恐れないかもしれない。周りの目がなければ、社会というまとまりがなければ、私は罪を犯しても誰にも咎められることはないし、自分の立場が汚されると思う事ができない。これは戸田と同じ感覚で、そんな感情を持つ自分に気付くと同時に「あなたは神様を恐れないのですか」というヒルダ夫人の声が聞こえる。その声は、私の耳に深く残った。しかしその声が聞こえたからと言って、私にはどうすることも出来ないように思ってしまう。私は神に背くほどの大きな罪を行っていないと思っているからだ。海と毒薬において、考えたいのは“罪”の存在だけでなく、“罪の大きさ”でもある。この作品の人物達は人の命を奪ったのだ。命を奪った罪と、私が母についた小さな嘘の罪では、「罪の比重や相手から奪う物の重みが違う」と考えてしまう。その思いに対して「『罪は罪』であり、どんな罪においても神を恐れなければならない」とヒルダ夫人なら言うだろうと想像する。しかし、私はこれからも小さな嘘や小さな罪を犯しながら生きていくのだろう。ヒルダ夫人のように、何かを恐れその恐れを逃れるために自分を犠牲にはできない。けれども私は神に祈り、愛が注がれ救われるだろうと信じ続ける事ならば出来ると思う。

そして、もう一つ重要な役割となるものは「黒い海」の存在。佐伯彰一氏の解説によると、「黒い海」という存在は、人間を「自然に押し流す」ものであり、それは運命という自然力であった。そこから「自由にしてくれる」ものが神であるとすれば、「黒い海」という存在は、人間を論理的・宗教的な責任でしばると同時に自由を与えてくれる「神」不在の、異教的な風土の集約的な象徴であるという事が、遠藤の言いたかった事なのだ。

芥川龍之介が書いた小説に「蜘蛛の糸」という作品がある。この作品は、釈迦が極楽を散歩中に蓮池を通し下の地獄を覗き見にくる所から始まる。そして、その地獄の中にカンダタという男を見つける。「カンダタは殺人や放火もした泥棒であったが、過去に一度だけ善行を成したことがあった」と思い出した釈迦は、彼を地獄から救い出してやろうと一本の蜘蛛の糸をカンダタめがけて下ろした。暗い地獄で天から垂れて来た蜘蛛の糸を見たカンダタは「この糸を登れば地獄から出られる」と考え、糸につかまって昇り始めたが、ふと下を見下ろすと、数多の罪人達が自分の下から続いてきたため、このままでは糸が切れると思い下りろと喚いた。そうすると蜘蛛の糸がカンダタの所から切れ、彼は再び地獄の底に堕ちてしまったという話だ。無慈悲に自分だけ助かろうとし、結局元の地獄へ堕ちてしまったカンダタを浅ましく思ったのか、それを見ていた釈迦は悲しそうな顔をして蓮池から立ち去ったのである。

この作品の中にある「地獄」はまさに「黒い海」であり、その場から「自由にしてくれる」ものこそが、「蜘蛛の糸」である。そして、両作品にある「罪」という存在は、自らを黒い海に、そして地獄の中に縛り付けるものだ。「神の不在」が蔓延した場所に留まる事(縛り付けられる事)によって、人々は“罪”を起こしても不感になり、アメリカ人捕虜の生体解剖という事件を起こしたのではないかと考えられる。カンダタが罪の万延した地獄の中で再び罪を起こしてしまったのも、“罪”の重さや浅ましさに不感になっているからなのではないだろうか。海と毒薬の中で生人々が生体解剖という行為をしてしまったのも、それぞれの登場人物が抱える万延した罪の意識や多数の命が失われる時代の中に留まっていた事が一つの原因にもなり得る。

一方で、海と毒薬が発表された後に、「結局は『なんでもない人間をこんな犯罪に走らせたのは戦争である。憎むべきは戦争である』という見方が、この種の事件を見る日本人の見方として定着していった」(なだいなだ氏「生体解剖」解説より)という意見もある。しかし、私はこの“戦争”は人間が持つ罪に対する不感や、全てへの諦観、そして神の不在を確認する一つの“きっかけ”に過ぎなかったのではないかと考える。遠藤が「神の不在」を表現するために題材としたのが“戦争”であったのであり、決して現実の世界で起きた戦争によって「人々は精神を狂わせ、罪への意識も持てなくなった」という流れがあるわけではない。此処には、日本人が元来持っている日本的感性と、神はいるのか、いないのかという一つの問いがある。平野謙氏は「作者は罰を恐れながらも罪を恐れない日本人の修正がどこに由来しているかを問いただすために、生体解剖という異常事件を一つの枠組みに利用した形跡がある」と述べており、作者の意図が生体解剖事件そのものへの関心というより、もっと普遍的な人間存在の「罪と罰」への問いにあることは明らかであると言う。つまり、川島秀一氏の「遠藤周作 <和解> の物語」にあるように、「日本的感性が孕む虚無」と「神の不在」こそが、遠藤周作の書こうとした真意なのだと思う。

この「神の不在」こそ、現代に蔓延している日本的感性であり、その虚無さを海と照らし合せて作品にした点に感銘を受けた。このような“虚無の中に生きる”姿は、“東洋的諦観”に似ているところがある。この生き方は、いかなる抵抗も距離も感じず、宇宙や自然に身を任せたいという「吸収へのあこがれ」であり、「自我意識の喪失」にかわるものであるが、”宇宙や自然に身を任せる”という点は、この作品に於ける”海へのイメージ”に共通する。自然に身を任せ、流れのまま時を過ごすという生き方は、時にイエスを信じながら時を待つ行為になり得るが、罪を犯し、罪を恐れながら神不在の場でたゆたうだけの不自由な場にもなり得るのではないのだろうか。

“流れるままに過ごす”という行為おいて、大切なのは、自分が何を信じ、何を恥じるのかであるように思う。この作品の中に存在にしたキリスト教徒であるドイツ人のヒルダ夫人のように、どんな時代であっても、信じられるものがあれば世界の捉え方は変わってくるのだろう。

私は自分自身を信じて今まで生きてきたが、時々「成るように成る」と投げやりに日々を過ごしてきたことがあった。そして私は、自分が持つ「成るように成る」という感情について海と毒薬を読む前は肯定的な意見を持っていた。というのも「成るように成る」と考えることは、イエスキリストを信じる事と同じであると思っていたから。与えられる物事を静かに受け入れ、開かれたドアに招かれる生き方に私は憧れていた。

しかし、それはただ広大な海のような場所で、ただたゆたっているだけなのだと気付いた。自分がいる位置で、何もせずに浮かんでいてもどこにも行きつかない。一歩踏み出さない限り、神様は選択肢もドアも与えてくれない。海と毒薬の中に生きる人たちのように、永遠に、神不在の黒い海のような所に止まってしまう。私はどこかに向かうために、一歩踏み出す勇気を持ちたいと強く思った。

 

 

憂鬱

家を出てから駅までの道の事をもうずっと好きになれていない。長い直線、人とすれ違うと一瞬で不満感で頭が痛くなる。どうしてこんな風になるのだろうと考えれば考えるほど、早く親に「周りの親達を見ていても子供を育てるのが羨ましいとか、愛のある行為だとか思わない、子供なんて一生育てたくない 結婚もしたくない」と言わなくてはならないという使命感で喉が苦しくなった。なんとなく性格が悪い、それだけが遺伝。


やっとの思いで満員電車に乗る。周りを見渡すと、みんな私よりも悲しそうで少しだけ安心した。淀んだ目でスマートフォンを眺める女性が可哀想で私が泣きそうになっていると、電車の中吊り広告から蛇みたいな顔をした男がこっちを覗き込んでいて気持ち悪い。
まるで神様みたいに笑っている。

代々木駅に止まると私はいつも満員電車の中から代々木駅のホームを見渡す。実を言うと、代々木乗り換えで渋谷に向かう男を探している。髪の色は黒で、もしかしたら眼鏡をかけているかもしれない。きっとオーラは黄色と灰色で、すごく大きなヘッドホンをしている。

彼のヘッドホンは大きすぎてすれ違う人に怪訝な目で見られる。でも彼はそういう目をした人達に何か言われれば間髪入れずに「これは9万する。お金の問題じゃないけれど、君達みたいに"音質"や"音色"について無知な人間にはお金で説明するしか術がない。片耳だけで3万円の音がする。俺は、僕は、音楽にそこまでお金をかける人間だし、君達にとって神様を超える存在になり得る音楽を知っている。君達にはそれを聴く機会は一生与えられないだろうけど」と饒舌に、そして小さな声で鼠が叫ぶように話す。
でも怪訝な目をした男は申し訳無さそうに怯えながら彼に言う。

「ヘッドホンじゃなくて、貴方の動きと目つきと、"呼吸の仕方"が、少しだけ、"とても"変わっているなと思ったんですよ」

彼の口から何も言い返す言葉が出てこなくなったのを確認すると、男の怪訝な目は彼を蔑むような目に変わり、会話を聞いていた周りの人達と一緒に彼の自意識過剰な勘違いに対してニヒルな笑みを浮かべながら電車に乗り込んだ。



彼は頭が可笑しい。大げさに言うと、冬なのに半袖を着ていそうというような溌剌なイメージを他人に持たれてしまうのに、それと同時にいつも暗い部屋に引きこもってインターネットをしていそうという陰鬱なイメージも同時に持たれてしまう様な所がある。毎日溌剌としているのに所々に彼の陰鬱な私生活が垣間見えるのだ。(例えばヘッドホンの話もそうだし、その他にも沢山あると思う)

男に呼吸の仕方が変わっていると言われてから、彼は代々木駅のホームで大きな溜息をついた。そしてその後突然笑顔になったりした。その時彼が思い浮かべたのはお笑いのネタだったり、友人の不幸な体験だったり、自分が今朝体験した心霊現象だったりした。彼の事を、時々何かの病気なんじゃないかと思う。その病気を、全て私に見せてほしい。(でも実際に彼と話してみると何の病気の症状もみられない健常者だった)

彼はイルカとかシャチとか、ああいう表面に艶のある生き物がとても好きそう。でもクラゲは浮ついていているから嫌い。愛について歌うときの気怠い声は、私が両親に言うべき言葉に重なって、何処かに消えていく。


代々木駅を過ぎても電車の中は窮屈で、私はもう限界になる。毎日毎日こんなのは気が狂う。
どこか遠くに行きたいし、もう私よりも悲しそうな人に囲まれて気持ちが沈んでいくのは耐えられない。


夜になると身体の奥から何かを掬い出すみたいに誰かの指がうねる その指がいつの間にか頭の中にまで届いて脳の中を掻き回すと、気分が悪くなっていく さしづめ気持ちの良い夜の中で眠りに落ちる 可笑しな化学物質が反応するまで、全部諦めて涙が出るまで、執拗に脳の奥から脳の外へと指が動いていくのを感じながら眠りに落ちると、夢の中でその夜より前の事が繰り返される さっきまでいた知らない場所の事、夢みたいに現実感の無い時間、悲しい日


悲しい日は自分が悲しいせいで誰かに泣きついていないと生きていけない それなのに誰かを深く信用する事も大切に想う事も出来ないから何も考えないで指を待つ ずっと気分が悪い 何処に居ても、何をしても、夜じゃなくても、頭の中で指がうねりはじめる 中から何かを引き出そうとして、何度も何度も頭の中を撫でられている様な気分

やっぱり治っていない 自分の事なんてどうでも良いと思いたくて、悲しくなるに決まってる話ばかりに聞き耳を立てる癖と、頑なに楽しくなろうとしない癖

指の話は全部彼の勝手な妄想で、その一部にされているのが私の感覚だった 体だけ連れて行かれて、知らない内に何処かで侵されている お湯に溺れる自分を見て大変な事になった事に後から気付く 全部が失敗、生まれてきたことも

或る筈の無い優しさ 或る訳が無い優しさ 無意味な優しさ 好きな声が聴こえても少しも動かない気持ちと殺意 何の訳にも立たない、未来に少しも残らない優しさ その優しさが憎い訳でも嫌いな訳でもないけれど、少しだけ邪魔になる どうにか自分の手を加えないで、それが勝手に何処か遠くへ居なくなって欲しいと祈ってしまう 早く消えてほしい 本当は何処か遠くにさえも存在して欲しくない それが遠くに在ると思うだけで、自分の存在がそれのお陰で成り立っているのかと思ってしまいそうで、苦しい

今度悲しい日が来たら全て残らず消してしまうような悲しい事がしたい 気持ちを隠したままで話をしたいし、さよならも言わずに目の前から一生消えてしまいたい 一生会いたくない、全部嘘にしてしまいたい 何処を探しても居ない存在になってほしいと清らかに祈ってあげる そんな風にしか思われないなんて、そんな風にしか思えないなんて、君は可哀相な人

奇病

 

時間という流れがなければ、僕は自分が少しずつ枯れていく事に恐怖を感じ、驚くかもしれない。規律のある徹底的な流れの中に存在しなければ、髪の毛が白くなっていったり、腰が曲がっていったり、皺が増えていく事に到底耐えられず、其の世から消え去りたいと強く願う。『その時僕は奇病だった。』とそっと日記に残して。

でも、呼吸を求めながら死ぬのは耐えられない。僕の事を殺したい人間に、ひと思いに殺されたい。その殺人者に罪悪感の重さを求めながらゆっくり透明になっていきたい。殺したくて殺したのだから、罪悪感なんて露塵もないだろうけど。

こう考えている間にも現実は僕の妄想を壊しながら時間を進めていく。規律を覚えた時間は徹底的に流れていって、僕は様々な事を"当たり前の事なんだ"と許す事が出来る。僕の子供が時々死にたい死にたいと言葉零して遊んでいるようだけど、大丈夫、心配しなくても君は死ねるよ

僕は本当にいままで何一つ自分で選んだ事が無いから、最後の事くらいは自分で決めたい。
何度も何度も誰かに向かって言ったし、何処かに書いた気がするけれど、今まで自分の意志で何処かへ向かった事なんて一つも無かったのが僕の光らない個性だ。

その名残で自由になった今でも、なんだか何一つ本気になれなくなってしまった。決めるのは自分じゃないし、放って置いても向こうから近付いてくるのだから。既に開いている無防備な扉を探している感覚で、僕は想像の中で(例えば夢の中で)開けっ放しの扉を見つけると、何かに引き寄せられるみたいにその中に入っていく。僕の為に開かれていない扉を無理矢理こじあけるなんて、そんな泥棒みたいな真似は出来ないんだよ

だから、"向上心"や"夢"を持っている人を見るととても恐ろしくなる。導かれていない場所へ、開かれていない扉へ狂ったみたいに走っている人はきっと少しだけ可哀想だ。

僕は毎朝教会で、何かを向かい入れるみたいに呼吸をする。いつか誰かが、何かが向こう側から迫ってくるのを期待している。
「自分から何か求めたりしたら僕は負け」
こういう馬鹿らしい"意地"みたいな物が、僕の子供にも遺伝しているみたいでとても申し訳なく思い、誇らしく思うのを心の隅に隠している。


何にも本気になれない
何も望めない事は悪い事ではないけれど、
少しだけ君は意地を張りすぎている。
その意地は君の怠惰へと繋がっているのが父である僕は分かるんだ。

君は「向上心や夢を持つこと自体が私に与えられた使命で、狂ったみたいに走った先へしか開かれた扉が無かったらどうしよう」といつかの夏休みに言っていたけれど、その言葉は噎せ返る夏の空気が流れる部屋の中で敏捷に凍っていき、部屋全体が涼しくならない理由を考えている途中で僕を馬鹿らしい気分にさせた

狂った先に何かあるわけ無いじゃないか
例え扉が開かれていたとしてもそれは幻覚だ
狂った代償を求めるみたいに、自分で自分自身を救うための嘘を見ているんだよ

自分から求めたものに本物なんて無い
そんな風にずっと幻覚を求めているから
だから、君はいつまで経っても約束が守れないんだ

多々

髪の毛を切りに行くのが億劫で前髪は目にかかるようになった 陰った視界のせいでふとした時に何も思い出せないような、落ち着きのない自分が居る。視界が暗いと想像する事や妄想する事も難しくなった。一体あのバンドマンはどうやって思い出を思い出しているのだろう、夏が来たのかもしれないし、もう既に過ぎていったのかもしれない。

こんな風に暑い日々は誰かからの言葉が煩い
煩くなってしまって、
何も知らないくせにとまた思う


君の中にある深い虚空の中に君の知らない誰かが勝手に落ちていく感覚を、君自身が知らない内に君の身体は勝手に感じている

この感覚が「知らない内に恋をされている、という事がどれだけ美しい事なのかあなた達には分かりますか」という話の答えだと思った

話も答えも全部自分の妄想の話で、前髪がまだ短かった頃の想像だった。思い出の言葉と思い出の映像の少しずつを切り離して一つにすると、不気味で後味の悪い夢みたいになる

幼い頃に言った言葉と4年前に行った海
受け入れられなくてあれは夢だったと思い込んでいる汚い現実 それらに吸い込まれていって、いつの間にか他人の虚空に落ちている

嫌いな人について一晩中考えてその人との情事を妄想する事が多くなった
その人の虚空の中に落ちていって、考える事を辞められない
酷い言葉と行為をされて悦ぶ自分が、気付かない内に何かを手に入れて安心している感覚はとても卑しい

思い出したくない事ばかりを積み重ねながら年をとるのが怖いのに、辞められない
誰の、何の、役にも立たない生活も

毎日の隙間の酷い悲しさと突然発作の様に襲う幸せを変則的に続けていって、その流れがいつか病気の様に身体を不安にさせていく
もう辞めたい 続ける事を