ドッペル原画展

 

これまで生きてきて、得られた物は何だったのだろうと考えることが多い。そして、これから得られる物は何なのだろうと考える時、巨大な寂しさに包まれる。目的、意味、成果、安定、思考に押しつぶされそうになる。人に「いつも何か考えている人だよね」と言われる。押しつぶされそうになるけれど、考えていないと余計苦しいのだ。

幼少期の楽しかった思い出が殆ど無い。特に、父親と話した記憶が無い。一番古い記憶は母親が着ていた白青のボーダーのパジャマである気がする。

予定が立てられていない弾丸旅行みたいな1日が苦手だった。何も知らされず朝早く起こされ、知らない土地に連れて行かれ知らない部屋で寝泊まりしているのは、家族旅行なのか何かのついでなのか分からず、全く楽しくなかった。

父親は単身赴任になる前から、口下手なのか全く一緒に遊んでくれなかった。もしくは、記憶に残る様な思い出をくれる人ではなかった。休日は1人で何処かに出かけ、残された私は母親と何度か外に出かけたが、だんだんそれも無くなった。幼稚園の頃、骨折した。病気がちで、すぐ熱を出す子供だった。小学2年生で転校した。5年生あたりでいじめられたが、今となっては如何でもいい。中学校では1年生の頃、2年生の頃、3年生の頃と3回転校した。目が回る程の環境変化に対して、なんとも思ってないフリをしていることに気付かず、何の言葉もかけなかった親を今でも疑問に思う。どうせいつかは別れが来るのだから他人とコミュニケーションをする必要は無い。と変な方向に思考が傾いてから、中学、高校、大学と長い時間をかけて心は壊れてしまった。今も続いている友達は一人もおらず、病気にもなった。病気のことは、母親に相談もしていたため、どうしてもっと早く一緒に病院に行ってくれなかったのか、これについても一生疑問に思う。

嫌な思い出が多い。言われて嫌だったこと、今でも「疑問」に思うこと、箇条書きにして一つずつ整理して理解したい気分になる。

私の人生は常に「こうせざるを得ない」という状態に追い込まれ、用意された少ない選択肢から、仕方なく選んだだけで出来上がった物であるように思う。親はこれをあたかも貴方の意思で選んだ人生でしょう?と言わんばかりに責任を押し付けてくる。そもそも根本から間違えているのだ。私は、何も選んでいない。

他の皆もそうなのだろうか?