ドッペル原画展

奇病

 

時間という流れがなければ、僕は自分が少しずつ枯れていく事に恐怖を感じ、驚くかもしれない。規律のある徹底的な流れの中に存在しなければ、髪の毛が白くなっていったり、腰が曲がっていったり、皺が増えていく事に到底耐えられず、其の世から消え去りたいと強く願う。『その時僕は奇病だった。』とそっと日記に残して。

でも、呼吸を求めながら死ぬのは耐えられない。僕の事を殺したい人間に、ひと思いに殺されたい。その殺人者に罪悪感の重さを求めながらゆっくり透明になっていきたい。殺したくて殺したのだから、罪悪感なんて露塵もないだろうけど。

こう考えている間にも現実は僕の妄想を壊しながら時間を進めていく。規律を覚えた時間は徹底的に流れていって、僕は様々な事を"当たり前の事なんだ"と許す事が出来る。僕の子供が時々死にたい死にたいと言葉零して遊んでいるようだけど、大丈夫、心配しなくても君は死ねるよ

僕は本当にいままで何一つ自分で選んだ事が無いから、最後の事くらいは自分で決めたい。
何度も何度も誰かに向かって言ったし、何処かに書いた気がするけれど、今まで自分の意志で何処かへ向かった事なんて一つも無かったのが僕の光らない個性だ。

その名残で自由になった今でも、なんだか何一つ本気になれなくなってしまった。決めるのは自分じゃないし、放って置いても向こうから近付いてくるのだから。既に開いている無防備な扉を探している感覚で、僕は想像の中で(例えば夢の中で)開けっ放しの扉を見つけると、何かに引き寄せられるみたいにその中に入っていく。僕の為に開かれていない扉を無理矢理こじあけるなんて、そんな泥棒みたいな真似は出来ないんだよ

だから、"向上心"や"夢"を持っている人を見るととても恐ろしくなる。導かれていない場所へ、開かれていない扉へ狂ったみたいに走っている人はきっと少しだけ可哀想だ。

僕は毎朝教会で、何かを向かい入れるみたいに呼吸をする。いつか誰かが、何かが向こう側から迫ってくるのを期待している。
「自分から何か求めたりしたら僕は負け」
こういう馬鹿らしい"意地"みたいな物が、僕の子供にも遺伝しているみたいでとても申し訳なく思い、誇らしく思うのを心の隅に隠している。


何にも本気になれない
何も望めない事は悪い事ではないけれど、
少しだけ君は意地を張りすぎている。
その意地は君の怠惰へと繋がっているのが父である僕は分かるんだ。

君は「向上心や夢を持つこと自体が私に与えられた使命で、狂ったみたいに走った先へしか開かれた扉が無かったらどうしよう」といつかの夏休みに言っていたけれど、その言葉は噎せ返る夏の空気が流れる部屋の中で敏捷に凍っていき、部屋全体が涼しくならない理由を考えている途中で僕を馬鹿らしい気分にさせた

狂った先に何かあるわけ無いじゃないか
例え扉が開かれていたとしてもそれは幻覚だ
狂った代償を求めるみたいに、自分で自分自身を救うための嘘を見ているんだよ

自分から求めたものに本物なんて無い
そんな風にずっと幻覚を求めているから
だから、君はいつまで経っても約束が守れないんだ