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ドッペル原画展

印象


私にも一応好きな空間というものが在る。それには人々が存在するべき場所としての空間と目に見えない存在としての空間の二種類があって、これからもっと種類は増えるかもしれない。


例えば私が好きな空間の一つは大学という場所だと思う。その空間の内側に在る、まるで春夏秋冬が一気に襲いかかってくるみたいな勢いの強い誰かの眼差しも好きだった。その眼差しは実際に目に見えて在る訳ではないけれど、しっかりと私の中で空間として活きている。勢いがあるけれど決して私を急かさず、でも時にはその眼差しが私に真実を伝える為の大切な合図になっている様な気がしていた。その眼差しを私が感じさえすれば存在は本物になって、鋭い黄金色の直線になった。直線が幾重にも重なって、私の頭上で複雑に絡まると、幾つかの空間が出来た。その直線は一つ一つ違った形の空間を創り出していて、教会のステンドグラスみたいに色が付いていた。とても綺麗で、嘘みたいに見える、そういう所が大好きだった。好きな理由には必ず目に見えない物が在ると思う。それも、恥ずかしくて人には言えない様なイメージや印象としての空間。

私が三四郎小宮の事を好きな理由の一つは、言葉の節々に芸人としての魂が籠められている事。後の9999個は目に見えないイメージや印象としての空間だと思う。猫が高円寺を闊歩していたら最終的に香港まで行ってしまった時のイメージや、口元だけ人間に変化出来なかった猫という印象がある。こんな事人には言えない。他人にイメージを持たれる事は気味が悪くて気持ちの悪い事、本当はイメージについて考えたくなんかない。


嫌いな理由にも必ず目に見えない物が在る。単に嫌いなのではなくて、それを見ると嫌なイメージが具体的に浮かんできてしまうから、より具体的に物事を嫌いになっていく。

TVのインタビューで、地震の事を
「暴力をふるってくる目覚まし時計みたい」
と言っていた男の子が忘れられない。

嫌いに対するイメージや印象としての空間
「丁寧な無視をする信号機みたい」
「まるで夏に無理矢理降る雹」
「包み紙の無いガム」
「針で刺されたままの瞼」
「バスタブに詰め込まれた枯葉」
「落し物を盗む機械」
「人工的廃墟のような偽物」
「勝手に停止する録画機能」
「思い出と作業の思い違い」
「霊感のある幽霊」
「内面にしか瞳が無い幼虫」

嫌いの種類はもっと沢山在る
私に対する嫌いなイメージや印象
誰かこっそり教えて欲しい