ドッペル原画展

永遠

 

映画のチケットを買ったその日から、今まで経験したことの無い程心の底から「まだ死にたくない、まだ死ぬわけにはいけない、何がなんでも生きなくては」と思った。私はここ最近、死にたいという気持ちを一切排除し、ただ強く生きたいと願うことが出来る奇跡的な人間になっていたのだ。そうだ、死ぬわけにはいかない。『シン・エヴァンゲリオン』を観るまでは。そして必死の思いで生き延び、無事にシンエヴァンゲリオンを看取ることが出来ました。本当に良かった。

私は死にたくないと祈り初めたその日から、貪る様にエヴァンゲリオンシリーズを見返した。簡単に纏めると、

TV:誰とも一つになれなくて「おめでとう」
旧劇:(Air)人類補完計画を拒否/(death)カヲルを殺す
序:NERV入団 綾波に「笑えばいいと思うよ」
破:アスカが使徒綾波を取り戻そうとしたシンジがサードインパクトのトリガーに
Q:破から14年後 NERVとの対立 再びサードインパクトの続きを思いがけず起こしてしまうシンジ

という感じである。映画が始まる前のプロローグと大体同じだった。

TVシリーズAirでは人類補完計画を拒否したものの、父との対立や他者への恐怖は拭えていないままだった(最後にアスカの首を締めるシーンから)。(death)では、友人であるカヲルを自らの手で殺し、世界の破滅を防ぐ結末を描いていた。何かを犠牲にし、誰かを傷付ける事を「選ぶしかなかった」シンジの未熟を感じた。そして、劇場版ではそれとは相対的に、アスカを救うことも殺すことも、何も「選べなかった」シンジの未熟さを感じた。シンエヴァはそのどちらでもなく、それらを繰り返すことなく、本当の意味で、エヴァンゲリオンによる争いが消えた別の世界で終わりを迎えている。

虚構/現実の対話

人間との関わり方には「個対個」「個対多」「多対多」というあらゆる関係性の構築が見込める訳だが、それぞれの関係性についてを深く考え過ぎると混乱することが私にはよくある。いっそ、関係性の無い世界に籠りたい、楽になりたいと。その厭世的かつ諦観的思考を代表したかのように、ゲンドウは「対」の無い世界を目指していた。海と毒薬でも、「諦観=海に葬られる」という様なイメージがあるが、人類補完計画で人類が一つになる様は、命が溶け、海に葬られるそれと一致するイメージだ。しかし、自分の存在と他者の存在を同一にし、全体そのものになることは、誰も傷つくことはないが、そもそも自分が居ないのだから「傷付かない」という概念すら無い。だからこそ、「個対個」でいることをシンジは選ぶ。誰かと一つになったところで、他者との関わりがなければ何も育まれることはない。他者と関わることでこそ、自分の存在は確立し、相手の存在も認識できるという当たり前の事がどれだけ大事なのかと言うことだ。それが現実を生きることであり、それに気付くのが虚構から抜け出す唯一の方法である。首輪の様に自分を締め付けていた呪縛から溶ける時、彼は現実に目を覚ましたのだと思った。「夢は現実の続きにあって、現実の続きは夢の終わりだ」と綾波Airで語っていたが、全くその通りである。夢を見るには、まず現実に帰らなければならないのだ。現実では無いところで見るそれは、夢ではなく虚構である(現実の埋め合わせでしかない)。夢=現実(夢の終わり)の続きだ。虚構の終わりはそんな自分の心にある暗い部分からの脱却であり、エヴァンゲリオンはその心の回帰を描いた作品でもあったのだと思う。

回帰と確立

シンジはこれまでのエヴァンゲリオンで、どんな結果であろうとも、自分の「個」に回帰するまでは出来ていたように思う。でもその先の成長を、シンエヴァで初めて実現出来た気がする。一つになるのを辞めるだけでなく、その先の世界を創る。「エヴァに乗るしか僕の存在理由は無い」と思っていたシンジが、「エヴァの無い世界にしたい」と祈るとは思いもせず、涙が溢れた。その祈りは、一種の強迫的依存から離れられる強さの誇りでもあり、何かに頼らなくても、何かに縋らなくても、立っていられるシンジの「個」が確立した事がとても嬉しく、そしてもうバカシンジを観ることが出来ないと思うとかなり哀しく、号泣した。しかし、その一つの成長を観終えた後には、とても心がすっきりした。様々な確執や憎悪、手に負えなくなった自尊心や承認欲求の「浄化」と言ったらあまりにも簡単だが、それらに執着せずとも、自分を保っていられる輪郭を手に入れたのだと分かったからだ。自分よりも仲間を大切に思い、ずっと忘れないと愛を持って世界を変えたシンジ君に合掌。

 

追記

二回目を見に行きました。Air綾波が言っていた言葉は「夢=現実の続き、夢終わり=現実」ではなく「現実の続き→夢→夢の終わり→現実」の可能性も考えられる事に気付いた。エヴァンゲリオンは現実と夢がリピートしていく世界で、夢を終わらせ、現実を直視する勇気を持つ話なのかもしれないと。そして、上記に書いた大まかな解釈の他にも、面白い設定や表現がまだまだ沢山有った。というわけで、もう一度見たい。また絶対に死にたくないと思う日々が続くかもしれない。エヴァンゲリオンは永遠です。