ドッペル原画展

八月


『 何かのファンになるというのはとても孤独な活動で、その活動上に見返りや満足感を決して求めてはいけない。その何かは僕達ファンに救いや希望を与えてくれるかもしれないけれど、救いや希望を与えた本人は与えられた側に何の興味も無いはずだ、本当の所は。例えるならば、ファンという存在は何かが主役の舞台に登場するエキストラの様なものだろう。何かの壮大な人生の中で、ほんの少しだけ呼吸する小さな存在。僕達は基本的に一人だから仕方ない。基本的に一人だから、相手の人生についてまで自分の中に取り込んでおく訳にはいかないのだ。基本的に一人だから、自分以外の人間は殆どが特別な出来事には直接的関係の無いエキストラでしかない。何かの絡みがあって目立ったエキストラは選ばれた存在で、特別な出来事を招いていく要因にも成れる。でも、殆どのファンは選ばれる事の無い只のエキストラだから、いてもいなくても変わらない。あなたじゃなくても、誰でも良い。何かの人生が、より賑やかに明るくなる装飾、何かが死ぬ時、棺桶の空間を美しい空気で満たす為の余興 』


『 後悔する瞬間が大好きだ。あの時、あの行動さえ、あの言葉さえ、あの感情さえ無かったならば、今はこんなにも酷い状況になっていなかったはずなのにと後悔する瞬間。絶対的に取り戻す事の出来ない思い出、絶対的にやり直す事が出来ない生活が最悪であればあるほど、私はその後に続く事柄を軽視するようになっている。後悔の後には同じような後悔しか頭に残っていかないからだ。思い出にも生活にも、関連性と積み重ねが必要だった。今を過ぎて積み重なっていく物を軽視するだけでまるで手放したつもりになると、堪らない緊張感と開放感を感じる時がある。その瞬間が好きで、八月の夏に入ってから何度かやっている。全く興味の無いビル、車の免許、吐き気がする卒業文集、笑っていない写真、受け止められない大きな後悔が遠くの方でずっと叫んでいるみたいに見える丁寧なプレゼン 』


『 神様は救いを無条件に与えるが、与えられた人間が神様に対し何を考えているのか、その内側を知ることは出来ない。行動と感情は必ずしも一致しない。仕方なくこうやって続けているけれど、行動に反して心の奥では一刻も早く全部諦めなければならないのだと急かされている人は、この町には多いかもしれない。それでも互いに助け合う事は無い。基本的に一人でやっていかなければならないのかと思うと基本的には苦痛だらけだ。楽しいことって然う然う無いと思う。楽しい事を感じるにはそれなりの代償が必要になってくる。時間と後悔と無駄と恥。この町の人々の大半は、恥がなければ達成されない目標を、楽しいと思っているのかもしれない。互いに恥を与え合って、互いに後悔する。助け合う事はないのに恥や後悔を共感する日が稀に訪れる。痛みは恐らく他人のものだと思う事で、耐え切れない不調を和らげている。たった一つきりの心臓であんなにも大きな所に飛び込むなんて、私は怖くて仕方ない。生まれてこなければ。基本的には気持ちさえ無かった。 』


『 自分の考えが無い子供は、自分が気に入った創作物を通して幾つかの苦痛を理解してもらおうとした。でも、家族は誰一人として子供の興味に対して興味を示さなかった。細い声で呟くような音楽も、わざとらしく悲しい結末のない物語も、良さが全く分からないと言った。共感の欠落だった。良さを共感して欲しかった訳ではなく、何かを良いと思う気持ちを交換したかったのだ。自分の好きな物に対して話しても話しても何の気持ち返してくれない家族は、自分自身に興味が無いのだと思った。好きな物は自分の内面に通じる物だと思っていたからだ。あるいは、その当時好きな物は自分自身だったのに。家族の興味は学校の事勉強の事人間関係の事に向けられていた。それらに対して親が言う事に共感出来る所は殆ど無かった。何の気持ちも返すことが出来なかった。共感の欠落だった。 』



youtu.be




『 インターネットオンラインオセロネット対戦画面の下にあるチャットで人と会話する事が日課になった。インターネット上のオセロ対戦という場所で、毎晩9時に待ち合わせをしているからだ。でも、君って一体誰なんだ?なんか怖いよ、知らない人と毎晩オセロ対戦しながら意味のない会話をするなんて。オセロ対戦では負けてばかりだし会話もよく分からない。そもそもこの日課はいつまで続くのだろう?どちらかが降参すれば会話は永遠に消えてしまう。オセロにもいつか飽きてしまう。きっと二人の会話は大事にされるべきではないし、誰かの目にふれるべきものでもない。実際的に会うことも一生無いのだ。それでも私はインターネットを通り、わざわざその場所へ毎晩訪れている。きっと弱くなってしまったのだろう、私がずっと嫌いだった人間の種類に似ている。お互い弱い人間でなければ、こんなに脆い廃墟みたいな画面で人を待つなんて行為を続けるはずないのだ。体を放棄して、感情だけでずっと待っている。言葉を交換して、薄っぺらい寂しさをお互いに奪い合っている。インターネットが無くなってしまったら、私達の待ち合わせた場所と感情は何処に行くのだろう。 』