ドッペル原画展

説明

 

 デパートを出て改札へ向かう途中、館内放送で女の笑い声が流れた。その放送を聞いているのは私だけなのかもしれないと思ったのは、殆どの人々がスマートフォンを眺めながらイヤホンで耳を塞いでいたからだ。私も普段はイヤホンを耳栓代わりに使っているが、その日は雨の音を聴くために外していた。突然の豪雨で傘を持っておらず、純喫茶赤い糸の前で雨が止むのを待っていたのに少しも止まなかった。早く横になりたくて目的地も無いまま歩き、たどり着いたのがそこだった。コムデギャルソンを見る必要があると思い中に入ったが、全身が濡れていることに気付き、そのまま近くの駅に向かったのだ。

 「本日はご来店頂き」というアナウンスの後に少々の笑い声、「誠にありがとうございます」を言い終える前に、女は再び大声で笑った。「誠にあり」までしか聞こえない館内放送が駅で流れても、誰一人としてスマートフォンから目線を外さす、疑問を明らかな行動で示そうとしない。私は立ち止まっていた。生きることに慣れるのと、何事にも関心を持たないのは違う事だと自分自身に言い聞かせたかったのかもしれない。だから敢えて、駅のホームに群がるロボット達に騙されないよう、立ち止まった。

 この状況、この音、それぞれの生活、それぞれの人生を、私意外の誰もが不審に思っていないような予感が怖い。そして、その予感は全く外れており、この中で一番何も考えていないのは自分自身であるかもしれないという不安が恥ずかしく思える。駅のホームで顔の見えない誰かの笑い声が流れるのを、誰一人として気にしていないというその単純らしい光景が、私を酷く混乱させる。あるいは、そんな"普通"の出来事に、ここまで乱される自分に恐怖した。笑い声の後に女は続けた。「雨の中、みなさん、なんの価値もない物質に価値を求めて、みなさん、本当に、皆さん!ご愁傷さまです」それもまた半笑いだった。

 立ち止まる私に何度も他人がぶつかった。中には舌打ちをする人や、怪訝な目で睨む人も居た。その間もずっと女の笑い声がクスクスと響き、どうやら音声ボタンを切り忘れ女の声がホームに筒抜けになっているようだった。騙されまいと立ち止まった私がやはり間違えだったようであり、今私と同じ気持ちである人が誰一人としていないという孤独は濡れた体を異常に震えさせた。急ぎ足で改札を通る大学生に「こんなのおかしくない?」とドミコなら聞けたのだろうか。呼吸が苦しく、お腹が痛み、脳の右奥がみしみしと歪んでいく気がした。体は大丈夫なのだろうか?と自分を労ろうとすればするほど、無駄な緊張が高まっていくようで、またその状況にも焦り、尚更呼吸が浅くなる。妙な冷や汗と硬直していく筋肉が、無理やり指先を震えさせているように思えた。おそらく、今一番壊れやすく、壊れそうなのは、心だろう。子供の頃から成長していないはずの心は、私の想像の中で荒々しい石のような固形物を身に纏い、見ることができなくなっている。固形物は外側にある心の膜を真赤から透明に変える程肥大し、透明になった部分は今にも破けそうである。その凹凸は掴んだら痛みを伴う程に固く、膜はもう膜の役割を果たしていないように思える。膜が破けてしまったらついにそれは破裂だろう。そしてその破裂は近いだろうとすら思った。病気のこと、未来のこと、過去のこと、欲しい香水のこと、全てが私の想像力を圧迫していた。天井をみるだけの日々が、私の中で永遠になっていく。雨の日なのにわざと目を曇らせることがよくあり、その曇った視界で永遠から抜け出す気力も無いのだ。傘もささずに外で立っていると「これ、良かったらどうぞ」という声が聞こえた。私はそれが何なのか分からずこれは何ですか?、と聞くと「あ、ハンカチです」と言われた。「大丈夫です、雨宿りしてるだけなので」私は自分を気味が悪いと思った。差し出された何もかもが、何であり、何の意味があるのかが理解できなくなっていた。早く修理しなければ、酷い状況に陥ることが、毎日証明され続けているのに、どうして更に状態を悪化させようとするのだろか。私はどうしようもなくなり、常にポケットに忍ばせている剃刀の刃の冷たさを脳に思い浮かべた。そうすると水の香りが鼻孔から抜ける。私にとって冷たさは水であり、その冷たさで破壊される自身の皮膚は温かい雪の様だった。雪なのに温かく、温かいのに雪である。その不思議な皮膚を、いつも破壊したくて堪らなかった。水で溶けた雪からは温かい血が流れ、それは浮遊感をもたらした。何処かに自身の存在が消えてしまいそうな程の浮遊感が恐ろしく、目の前に他者がいれば消えずに済むのだと考えていた。

 数分前に連絡をした男から電話が来る。南口改札の時計の下で待っている、と答えるとポケットの中に手を入れた男が遠くから歩いて来るのが見えた。眼前に立ち止まった男は、ゆっくりと私の雪の中に刃物を滑らせ、同時に男自身のそれにも刃物をすべらせた。男は少し背伸びをし、震えたが、私の肩に軽くもたれた。その瞬間、理想の部屋がフラッシュバックし、行きたいレストランの雰囲気が色として現れたが、それらが全て白い眩しさで見えなくなった。私の心はやっと壊れた気がした。想像の中の石は溶け出し、すっかり全て液体になった様だった。体の何処に消えていったのか分からない心は、全て形無いものである。これでもう私はしばらく何も感じないだろう。館内放送の笑い声はまだ止まっていなかったが、私の思考回路にはただ一つ大きな海の映像を思い浮かべなければならないという強迫観念があった。波が多く、白い海でなければいけなかった。

 いつの間にか目の前にいたハンカチの彼は驚いた顔をしている。「実は、君のことが心配で着いてきたんだ」そして、眉をひそめながら「でも、何故こんなことをするんだ?」と言った。私は尚も大きな海の映像を探していた。彼の差し出したハンカチに手を近づけたが、男は私の動作を見て怯える様に手を離した。床に落ちたハンカチは血に濡れ、赤い線が無数の糸のように広がっている。白い海でなければいけないのに、何故いつも私は間違えた物を捉えてしまうのか、何故赤い海が差し出されるのか、それを理解する為の時間が欲しかったが、そのような時間はもう何処にも無かった。

 

最近読んだ本

罪・苦痛・希望・及び真実の道についての考察 カフカ 聖書的だったような気がする

モノグラム 江戸川乱歩 偶然の連続

黒蜥蜴 江戸川乱歩 結構現代的ドラマ感があり良い

幾度目かの最後 久坂葉子 幕が降りる様子

落ちてゆく世界 久坂葉子 著者の人生

灰色の世界 久坂葉子 過去の自分と今の自分が結びついたとき死が迎えに来るイメージ

虚構の春 太宰治 手紙の内容 

冬の花火 太宰治 女に裏切られる男

美男子と煙草 太宰治 男性の行き方浮浪者との同一

HUMANLOST 太宰治 病院での日記

妄想 森鴎外 妄想についての考察

いのちの初夜 北条 茂雄 命の価値、捉え方

アフターダーク 村上春樹 深層心理でつながる

港 ボードレール 短いが心情描写を感じる

小説のタネ 吉川英治 文学史

創作家の態度 夏目漱石 かなり良い 教訓になる

ドストエフスキーバルザック 坂口安吾 同上

はつ恋 イワンツルゲーネフ 恋の醜さもある

麻痺

 

赤い線が道に延びていくのが見えた。その線は川に沿ってうねり、途中で枝分かれしながら何処までも進み続けた。まるで体中に流れる血管であるかの様に思え、私が私の体の内部に入り込んでしまったのを想像した。見えない位に小さくなってこっそり体に入り込めたら。その時、寂しさはどの程度に収まるのだろうか。どの程度で済んでくれる寂しさなのだろうか。あるいは、私は何も感じないかもしれない。大きく暗い体に包まれ、安堵するかもしれない。「クジラに食べられたい」という歌詞の音楽があったが、今ならその気持ちも分かる。どうしようもない暗闇の中で私は寂しさを感じることができない。私の寂しさは私自身が感じているというより、寂しさ自体が意志を持ち、最大限にその性質を発揮しようと蠢いてるように思えるのだ。寂しさが無理やり寂しさを作り出そうとしている。つまり、私はそこまで不感症になってしまったのだ。不感症で、使い物にならない心が、首からぶら下がっている。そして時々延命治療の如く景色を撮るのだ。周囲の木々や小石、車やビルですら使い物にならない臓器に思えた。

でもこれらの妄想はあながち現実的であり、間違っていない。私は私の内部に生き、いつも閉じられているのだから。そして何も機能しない、使い物にならない物質に囲まれている。doing nothing is doing ill(何もしないことは悪事をしていることになる)を座右の銘にしたばかりなのに、こんな状況はとても悲しい気持ちだ。だけど少しだけ幸せにも感じる。

光、と題して景色を撮った。赤い線は夕日の光であったらしく、あまりにも眩しかった。写真展が近いのに最近は全く写真を撮っていなかった。というよりも気付いたら撮っていなかった、というのが正しい。代わりにスマートフォンで適当な写真を撮ってインターネットに公開している。世間の皆さんはこの程度の写真で足りるのだ。改めて、写真展が近い。左目の痙攣が止まらない。使い物にならない指先は瞼を強くこすり柔らかな球体を潰そうとしている。使い物にならない心が次第に重く、首から下げておくのもうんざりしている。この重さで首が吊られてしまう気がした。地下鉄に揺られている中そんな感覚がして、眩暈、座り込んだ先に捨てられたタピオカ屋のプラスチックゴミ。

タピオカ入りのミルクティーを飲み気分が少しばかり回復した。紀伊國屋書店で心理学の本を立ち読みしたのだが、歪んだ人間は自分が見たくもない情報や見るべきではない情報をあえて選択してしまうらしい。インターネットなどを見る時、きっと指先が言うことを聞かないのだろう。この知見は本屋で立ち読みなんて本当はしていない私自身の持論か、それとも心理学的に証明された本当の話かどちらだろうか。少なくとも私は見るべきではない情報をあえて目にする行為を何度も繰り返してきた。繰り返しすぎて壊れてしまった。だからもう我慢はしないことにしたのだ。これ以上壊れる隙が無い。入った喫茶店には不快な音楽が流れていたので、コーヒーとモンブランを注文したもののそれが来るのを待たずに店を出た。これは犯罪になるのか?でももう我慢はしないと決めたのだ。家に帰ると途端に首からぶら下げた心が重く、机の上に置き金槌で滅茶苦茶に壊した。息を思い切り止めながら、破壊した、粉々になるまで叩いた、私は今日生きていた中で一番笑顔だった。夕日の眩しさを見たときよりも、タピオカミルクティーを飲んだときよりも、ずっとずっと嬉しかった。興奮のあまり、何故か汗すらかかなかった。指先が冷え、口内は乾き、下半身に力が入らなかった。シャワーも浴びずに横になった。このベッドも愈々不快だ。私は砂浜で眠れば良いのか?頭の中がいつも疑問で一杯になっている。声にならず、自分の外側に出ない疑問ばかりが頭の中で飛び交っている。全て、終わってくれないか?早く楽になりたい。中々寝付けないが、砂浜で眠れば良いのか?不快なベッドはあのシーンのせいだろうか?不潔な布と不潔な猫を思い出すと私は眠れなくなるが、結局眠れているのが事実。

あれ、眠れている、と思った時、知った顔の人間が何人か集まっていて、私の席あたりでなにやら騒いでいる。その騒ぎは私が騒ぎに気付くずっと前から起こっていたことであろう。いつもそうなのだ。私は、私が知らないうちに始まった出来事に出遅れ、途中参加を強いられる。始まりを知ることなく、大体が終わっている状態で与えられる。終わりばかりが与えられる人生を生きると、どういう気持ちになるか想像できるだろうか?既に起こってしまっていたのに知る機会を逃した何かへの恐怖。自分の純粋すぎるほどの無知さが悔しく、恥ずかしく、どうしようもなくて、終いには「なんておめでたいんだろう!」と呑気な無知を祝福すらしてしまう、自分だけが死の危険を知らされていない様な恐怖。ああ、これは恐怖を象徴した夢だ、と今分かった。騒ぎの輪の中を覗くと、やはりそこには私が死んでいる。こうやって死が既に起こってしまっているのに、それを知らないまま生きるのはあまりにも呑気すぎるのではないか。騒ぎを知る前から、ずっとずっと前から、私は既に死んでいたのだろう。この騒ぎはもうずっとずっと昔に始まり、ずっと前に完結していたのだ。私以外の人間が私より先に私の死を知っている不愉快さと恐怖。騒いでいた人間達は遅れて出てきた私に怯え、何処かへ消える。一人になった私は私の死体と対峙した。結局そして、それを放置したまま帰ってきた。明日になれば誰かが処理してくれるだろうなと思ったから。そして湯船に浸かった。暖かくなった体を丸め、夢の中で夢を見た。最も、明日なんてどうでもいい。今より先に興味が持てなくなった。と思いながら深い眠りについた。そして突然目が醒める。

 

「本当にびっくりしたのよ、あなた夜中に突然起き上がってどこかにいくから」と顔をレースで覆った女が言った。「しばらく見惚れていたらタオルケットを持って浴室へ行ったの。浴室で寝たかったのね」と顔をDiorのシルクスカーフで覆った女が言った。

私は素直に、は?ふざけるな、と思った。ベッド以外の場所で寝たい訳ないだろう。どうして声をかけてくれなかったのだろう。「あなた砂浜で寝たほうがいいのよ」私は何故ここで「砂浜」という単語が出てくるのかさっぱり理解出来なかった。

起きると私は水の無い浴室の中に居た。そして知らない二人の女が居た。彼女達は私の為に朝食を用意した。破壊した心は無花果と一緒にお皿の上に盛り付けられており、とても綺麗に見えた。

 

最近読んだ本

秘密 谷崎潤一郎 秘密なんて大したことない

谷崎潤一郎 バイ×寝取り×薬=死

恐怖 谷崎潤一郎 パニック障害

神神の微笑 芥川龍之介 神話

遺書 芥川龍之介 作者の遺言的なもの

魔術 芥川龍之介 構成がすごい 小説内で夢を見る

芥川龍之介 秋の寂しさ 姉妹間での恋愛のもつれ

犯人 太宰治 思い込みで自殺 恋愛の狂おしさ

皮膚と心 太宰治 女性の自尊心 嫉妬の発生要因

あさましきもの 太宰治 作者が思うあさましさ羅列

正義と微笑 太宰治 少年の日記 葛藤と素直さ

恐ろしき錯誤 江戸川乱歩 復讐を失敗して狂う

夢遊病者の死 江戸川乱歩 夢遊病者が勘違い

D坂の殺人事件 江戸川乱歩 SMに則った殺人だった

湖畔亭事件 江戸川乱歩 覗き見 本当の犯人が曖昧

 

どれも面白かった。

 

 

 

 

無害

12時半を境目にして腕時計の針は動かなくなった。今まで動いていたものが急に動かなくなるのは人の死と似ている。寂しさを覚えるのは、確かに時計が動いていた過去があるにも関わらず、それが今後一切再開されないと確定してしまったからだろう。意味の有ったはずのものが、意味の無いものになる。可能性を持っていた物が、ただの残滓になる。私達も少しずつあらゆる可能性を減らし続けているのだ。咳払いをわざとした。呼吸を止めていることに耐えられなくなったのだ。「時計が壊れちゃったみたい」と言うと、彼女は「時計?」と言った。もしや時計が何なのか分からないのか。まるで彼女の世界には初めから時計が存在していないような表情をしている。彼女のその表情に言葉を奪われた喪失感を感じながら、今とは全く関係の無い過去を反芻している。「この前食べたパンが犬のしっぽみたいに美味しくなった」私は会話がややこしくなる予感がすると即座に別の話題に意識を逸らそうとする癖がある。「時計?犬のしっぽ?」もしや、犬のしっぽが何なのか分からないのか。「うん、そうなの。ところで私達は誰を待っているんだっけ?」肝心な問を投げたが彼女はそれを無視し、鞄から取り出したCDプレーヤーで何かしらの音を聴き始めたようだった。

私は読書を始めた。

早く代わりの時計を出してください!

偶然か必然か、読みかけの小説の中でも時計が壊れている。それだけではなく、反芻の中に在る小さな部屋の壁掛け時計も時間が大幅に進んでいたのを思い出した。私は世界が今何時か分からないことより、身の回りの時間が混乱している事実に不快感を覚えた。混乱は人を不安にさせ、幾重にも不快感を重ね続ける。まるで地下へ続く変形したらせん階段の様に、渦巻きながらより深いところへ落ちて行くのだ。この不安の原因は彼女の無知に対する怒りだろうか。あるいは、昔見たあの男の顔が忘れられない故のものなのだろうか。

こうしてあの男について考える度一つの疑念が浮かび上がってくる。それは《あの男はあの時もう既に死んでしまっていたのではないだろうか》ということだった。あまりにも覇気の無い男が手ぶらでのっそりと立ち、駅のホームへ続くエスカレーターの横から私をじっと見ていたあの情景が、どうも現実に起こった事とは思えないからだ。現実に居なかったはずの人間を見てしまった感覚、既に死んでしまった人を見てしまった感覚、そういうものは人を不安にさせる。男は夏なのに分厚い茶色のセーターを身に纏い、顔は青白く、瞼の幅が広かった。幅の広い瞼は瞬きをほぼせず、曲線で描けそうな黒々しい髪の毛と痩せた体は着物と下駄を連想させた。その季節感の無い見かけと西洋画に描かれそうな顔つきは異様であり、駅には何の用事も無い人に感じられた。つまり、これから電車に乗って何処かへ行く様な雰囲気が感じられなかったのだ。まるでこれから死のうとしているような、もしくは誰かを殺そうとしているような、その類の、人生を左右させる決意をした後の静けさを持っている様に見えた。細くて長い指で胸元から果物ナイフをゆっくり取り出し、背後から女の首元を切りつける。その後凶器になったナイフで自身の手首を切り入水する。背後から切りつけられるのが私だ。死体となった私は入水する彼と視線を重ねている。とても長く。

重なった視線を解くと私は生き、歩いていた。所詮妄想に過ぎない。彼の存在もナイフも。改札口へ続く下りエスカレーターが急降下している。どこまでも深く地下へ潜り混んでいく落とし穴だ。らせん階段みたいにうねり始めるエスカレーターが怖くなり、私は躓き、清潔な布の上に倒れ込んだ。ひんやりしていた。蝉の声が聞こえ、空耳を恥じた。涼しい風が吹いているが瞼の裏には風が来ない。風を探して手を伸ばすと、私は丁度臍の辺りで2つに分かれた。上半身と下半身になった私達はお互いの距離を伸ばし、離れ、風を探し、何も掴めなかった。代わりに掴んだのは無機質な鉄で出来たベッドの骨組みだった。そうだ、ここは病室だった。彼女はベッドの横に座り、私の顔を静かに眺めている。「おはよう」と彼女が言うと、あの男について考えたのが悪いことの様に思えた。彼女の存在を無視し、寂しくさせたのではないかと思ったのだ。寂しさ。それに共感しようとすると、心臓が一度跳ね上がり、収縮した。私達の間には誰か他人が必要だ。待ち合わせの人はまだ来ないのだろうか?手首から上に伸びる細い管の様な腕時計はいつまでも時間を刻むこともない。いつの間にか私は眠ってしまっていたようであった。

「誰か来たの?」と私が聞くと、彼女は「貴方をこんな風にした人が来たよ」と言った。こんな風に?と思い聞こうとしたが、私が声を発するより先に彼女が「今日は久しぶりに外に出られるから、海にでも行こう」と言ったので、海へ向かうことになった。今何時なのか知りたくなる。暗い時間に帰ると犬に吠えられ犯されるからだ。「今はまだ午後3時だよ。大丈夫、安心して。」彼女はよく見ると、彼、だった。

夏の暑さは室内にいると感じられない狂気である。だから私は狂気的な暑さですら少し嬉しく思った。慣れない人混みに恐怖を感じ、痛み無く心臓が押しつぶされる感覚に陥る。満員電車に乗りこみ、何駅か過ぎた所で滴る汗を彼が優しく拭いてくれた。「あつい?」と言う彼の声は何故かとても柔らかく、その柔らかさは私に媚びるようだったので恥ずかしくなり、わざとらしく窓の外を眺めた。途端に爆発の様な音が聞こえ、黒い川の上に3つの光の輪が浮かび上がってきた。「花火だね」と彼が言ったので、私は実質的に彼と花火大会に参加できたのだと思った。浴衣を着て川沿いで見る花火よりもずっと特別な事だった。偶然の花火は神様から私達へのささやかな祝福のように感じられたのだ。

まだ私にも神の影が少しでもあるのかと思うと、これからいつかは絶対に死ぬのが嘘みたいに思える。こんなに生かされてるのに、死ぬなんて。絶対的に死ぬなんて、そんなのあり得ないでしょう。

「死ぬことなんて非現実だよね」

「非現実?そんなこともないね。現に君は一度現実の中で死のうとしたんだ」

いつもの動画を見せてあげるよ、と彼が心底嬉しそうにiPhoneを取り出した。君が狂うと可愛いんだ。胸元から出したナイフで手首を切っている映像で、細部は見れば解ると思うけど、僕はこれを見て何度も興奮したよ。

「海辺でじっくり鑑賞しよう」そこに墓もあるんだ。海辺の墓がある。彼がそう言って電車から一緒に降りた時、向かい側のホームにあの男が立っていた。久しぶりに本物を見た。着物と下駄を身に纏い、屋根のついた駅のホームで傘をさしていた。茶色のセーターではないのか、と思ったが着物は涼しげで良かった。私と彼の丁度真ん中あたりの空間をうつろに眺めるその顔は、あの男は太宰治だ、と気付いた時、私は冷えた海辺で彼に殴られながら愛されていた。自分の瞼が水気を持って開くのを感じ、目が合った彼の寂しさに共感した。

氾濫

 

 

新宿GUCCIの前で歌舞伎町のホストに話しかけられたことをきっかけにして、私はクリープハイプ尾崎世界観になれることを確信した。ここではない世界や今の自分と違う価値観を武器にして、堕ちるところまで堕ちていける予感がしたのだ。今から抜け出して違う世界に行きたい気持ちが私を焦らせる度、簡単に行ける世界にどうしても目が眩んでしまう。綺麗で素晴らしいところに行くには、余裕が全く足りないのだ。これから先も自分の世界と交わらない場所で、似非サブカル作家が地下アイドルについて純文学を書き上げる中、私はノルウェイの森を写生している。やれやれ、の言葉が出ると微笑する。私は失敗をした。自分の世界と交わらなかったはずの人間と関わることで行ってはいけない町が増えた、見てはいけない文字が増えた、読めない小説が増えた、言えない言葉が増えた。素直に笑えなくなった。出てこられなくなったそれらは心のなかで大きな影になり、一番大切な感情を隠している。光が欲しい、川谷絵音ベッキーが結婚する光を望んでいる。その他の光、私を照らす光は、終わりや終演といった最後を感じさせるものに近い。それは月光のようなものであり、暗闇で暗さを引き立てる様にぼんやりと存在している。私は時折成功もした。交わるべき人と関わる運命を体験した。それなのに、運命と交わるとどうでもいい他人が付いてくる。私だけの運命が他人との運命を孕んでるという事実が果てしなく気持ち悪い。私は人間関係に潔癖だったのに、汚物が入ってきたことで成功は全て失敗になった。でもそれは大したことない失敗だった。大して深くもない穏やかな失敗の中に長居しすぎて抜け出せなくなっている。穏やかに時間が流れる空気の少ない場所に、その失敗と一緒に居るのが一番居心地良くなっているのだ。居心地が良いというより、そこに居ないと許されないのではないかと思ってしまう。私は精神的な被虐願望があるのかもしれない。いつまでも失敗のことを考えている。考えた結果分かるのは失敗した原因の殆どは汚れであるということだ。頭や呼吸がぐるぐるして汚いものに思考が汚されていくのを、必死で耐えなければならない。他人が撒き散らしている汚物に触れて、純粋な自分を偽物だと律し、汚いものを事実として自分の眼で真っ向から対峙しながら耐えなければならない。そうやって習慣的に、浮足立つ気持ちをマイナスに持っていかないとバランスが取れないのだ。その行為自体がもう癖になってる。それが生きるということで、それが「大人」なのだということもはっきり分かった。汚いものと対峙することで本当に綺麗な物を認識できるようになるのではないか?むしろ人生の殆どは汚物で、その中にたった一つだけ、あるいは死ぬ間際のたった一瞬だけが綺麗であるというのが当たり前なのではないか?うんざりする、未来が無い、私にはそのたった一つや一種ですら感じる心が無い。全部誰かのせいだ。心の重さで少しずつ沈んで行くのが分かる。それでも私は汚いものをこの眼で見て、自分を殺す真実を知って、それを物語にしたいのだ。自分を律する方法がそれしかないのだから。

ちなみにこれらの文章は全て思いついたまま頭の中にある独り言をそのままに書いている。私は普段電車の中や食事中や他人と話している時でさえ、こういった類の気持ちで頭がいっぱいなのだ。頭の中から気持ちがとんでもない速さで氾濫し、早口みたいな言葉になっている。頭が詰まっていて、いつも空っぽに、クリアにしたいと思っている。

摂食障害者にブログを読まれてるかもしれない。吐き気がする。存在するだけで人を傷付け、世界に対する感性を歪ませるような迷惑な人間にだけはなりたくない。大抵そういう人間は汚い。よく生きていられるなと感心する。私だったら心が重すぎてどうも生きられない。可哀想。

 

 

 

 

 

日記

 

 

 

関わる人間全てが嫌いなあの人の顔に似てきている。

特に「醜い物」は全部あの人になっている。似ている人や物に対する私の対応は酷いものだ。ただ似ているというだけなのに、嫌いなあの人との区別を付けられず、好ましくない態度を取ってしまうという終わりの精神なのだ。このままだと全ての人間がそれになってしまう。怖いけどどうする事も出来ないし、そうなってしまう事を誰にも止める事が出来ない。私はそのうち嫌いな人に囲まれ、目を向ける場所も無くなり、そして何処にも行かない。息苦しくない範囲は自分より内側だけになるだろう。

何の目標も無く生き続けているが、少しの失敗も許せないため、走っている。失敗を許せずに走った私を早く忘れて欲しいと思う、早く全員私の奇怪な行為や表情、言葉を忘れてほしい。存在を忘れてほしい。注目されたくない、何も聞かれたくない、全部偽物だから、何か聞かれると表情が強張る。

 

私には生き霊や怨霊が憑いているらしく、この間知らない女に読経を唱えられた。電車に乗っていると聴いていた音楽越しに人の話し声の様なものが聞こえ、周囲を見渡すと目の前に居た女の月目が私を見つめていた。女の口は笑っている時の口の開きで、口内で唱えられた読経が能面みたいに張り付いた顔の向こう側から出てきている様だった。女は突然諦めたように首を擡げ、そしてすぐに背筋を伸ばし、もう一度私に笑いかけながらぶつぶつと読経を唱えた。唱えられた私は怖くなり、そしてその怖さを回避する為にお祓いをしてくれてありがとう、という感謝の気持ちをあえて抱いたのだった。一番怖いのは生き霊でも怨霊でもなく、その読経が私の幻聴だった場合である。

 

なんか動きがないとか言われたけど、それって小説なんだから当たり前じゃないのか。

 

正直私は何も考えてない。

本当に心底どうでもいいことを、あたかも一番大事なことのように思うことが出来る どうでもいいことをどうでもよくないことだ思い込むのではなく、どうでもいいことと頭ではっきり解りながら一番大事なことのふりをして、そのふりをしている自分を見て嫌な気分になっている そして、私は嫌な気分から自力で抜け出す力が無いから、本当は心底どうでもいいことでも、そのことに対して本気で悩み、本気で泣いて、本気で死ぬことだってできる 頭では意味の無いことだと解ってるくせに本気で悩んでみたりする自分に永遠苦しめられる その状態は私を酷く嫌な気分にさせるから、私はそこから抜け出すのが難しいのだ どうしてわざわざ嫌な思いをしたがるのか、どうしてわざわざ辛い思いを選ぶのか、そうしないとバランスがとれないからだ 楽しい思いや良い思いをした後は必ず自分を戒めて清めないと気持ちが浮ついて体が宙に浮いてしまいそうになる 辛い思いを思い出して気持ちを元に戻そう、私嫌な気持ちから抜け出す為に環境を変えたりは決してしない 痛みの伴わない環境の変化は今まで一度だって無かった 二度と行けない場所、二度と見られない風景、漢字、ゲーム、今我慢して辛い思いを乗り越えたらその後に美しい生活が待っている?乗り越えたくない 早く自分は諦めればいい、早く自分は消えればいい、早く早く、という気持ちだけが本物だとしたら、私は一体何を考えてるんだろう 

 

なんで生きてるのか分からない人間ばっかりだ。

なんで生きてるんですか?

人を平気で傷つけたのに、気持ち悪いのに、なんで生きてるのか分からない

何故平気でInstagramとかできるんですか?

皆さんにInstagramTwitterをやる資格ってあるんですか? 

どうして生きてるんですか?

 

 

レディオヘッドのparanoidAndroidいい曲だな

でも車内で聴くと大抵良くない

一人で聴くのが一番 

どうでもいいことなんて1つも無い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天国


どうやって予定時刻より早く帰ろうか考えていた。帰宅予定時刻は21時半だったが、21時には帰りたかった。こういう時、何故我々は時間に縛られ時間に従い時間と共に過ごしているのかその起源にまで不信感を募らせ、最終的に私の頭には「(時間が消えれば)待ち合わせくらい一年遅れても誰も本当の意味で怒ることはない」という仮説が浮かぶ。時間が消えれば待ち合わせが出来なくなる可能性があるが、時間が消えれば待ち合わせなんて一年程度遅れてもそれが長い期間なのか短い期間なのか分からないのだから。いつか会える人間が存在する。それが一年後だとしても、あと100回分のお昼寝を経た後でも、いつか会う約束をしたなら、その事実だけで明日を生きていける様な世界が良いと思う。だから帰りますね。時間を気にしている時間は無いので、先に帰らせて頂きます。と思い、帰ろうとした瞬間に嫌な音をたてながら電話が鳴った。

受けた電話の向こうにいる人の話し方が怖かった。呂律のまわらない、声、笑いのない、奇妙な間、そして女はもごもごと声を発しながら、徐々に言葉をはっきりと言うようになった。彼女は要約するとこの様なことを私に話した。「不条理とか無いと思うんですよ。何1つ悪いことをしていないのに脱線事故で死ぬとか、地下鉄サリン事件で死ぬとか、通り魔に刺されるとか、そんなことありえるんですかね?人は神様に殺されるんですよ。キリスト信者は誰も不条理なんて信じませんよ。だから、貴方が不幸なのは、貴方自身の問題です。例えば、貴方と同じ境遇にいる人間が貴方と同じ類の不幸を背負う事も、貴方と同じ類の幸せを注がれる事も、有り得ないですよ。でもね、僕らの言うことを聞けば、貴方がどれだけ罪を侵しても、神様から守ってみせますよ。」

まず、あなたは男性だったのですね。ということである。あるいはこの電話をしているのは女性であるが、団体の幹部が男性である為、あえて"僕ら"と言っているのかもしれない。私は色々言いたいことがあったが「不条理は無い」という意見に概ね賛成であった為、あなた方の言うことを聞きます。と答えてしまった。そうすると、女は鼓膜が破れそうな程大きな声で「怖い!」と叫び、電話を切った。大きな音を立て、受話器はあるべき場所に戻された。

もう21時半を過ぎていた。普通に生きているだけなのに、何故こんなに傷つけられるのか分からなくなってしまう。しかし、変な電話が来るのも私自身の問題で、不条理でもなんでも無いことだった。私があの時に侵した小さな罪が、今この電話と女の言葉によって返ってきただけの話なのだ。この先も普通に存在しているだけなのに、他人に刺され、言葉で、行動で、深く傷つけられるのは、私が過去にした行いがそれによって返される行為に過ぎないと思った。この様な罪の返報は、あらゆる人間に起こる出来事なのである。何の防御もなく、世界に柔らかいまま曝されるという孤独だけが、全員に平等に与えられ、初めから決められた不幸だからだ。私達は永遠に守られることは無い。それでも自分の柔らかさというものを、自力で無くしていくことは出来るだろう。それは、柔らかいものに何かを重ね付けて、守るように防御するのではない。柔らかいものを自力で剥いで、その中にある芯のような、固い部分だけを残すのである。それが私の、他人に傷つけられる程人間は強くなれるという事象のイメージだった。昨晩、他人に傷つけられたせいで少し剥げてしまった柔らかさに自ら手をかけ、完全に剥いでしまおうと思った。しかし、芯に届くまではまだ少しかかる様だった。

柔らかさを損う夜を何度も繰り返し、命が完全に固くなったら天国に行きたい。自分が心を許した人間のみと寂れたイオンでかくれんぼをしているような。人間達の姿は永遠に見つけられない。其処に居ることだけが分かっていて、永遠に目は合わせられない。天国ってそんな場所だと思う。これは私が考えている、時間の無い世界と似ている点である。居るのが分かっているのに会えない、約束はしているのにいつ会えるのか分からない。私はそういう世界が好きなのである。あと12回傷つけられたら天国に行きたい。一生会えない大切な人達の存在だけを持っていき、寂れたイオンで永遠にかくれんぼをする。でも、実際は一人きりでかくれんぼをすることになると思う。そして私は予想もしなかった場所で、間違えてしまったかのように他者を見つけてしまうだろう。その人は最初から隠れるつもりなどなく、そもそも私とは異なる設定の天国に居た誰かである。そうやって他者の天国と自分の天国が混ざり合うその境界だけを求め、そこに留まり続けたいと密かに考えている。その他者こそが、一番大切な存在であってほしいと願うばかりだ。住む世界が違っても会える他者だけが、私に必要な誰かになる。

住む世界が違う人なんて何を考えているのか分からないですね。と問いかけると、自慢気に、何も考えていないし何かを考えながら生きている人なんて居るのかなあ?と言われる妄想をしていた。誰かが私にそう言いながら自身の柔らかさを欠いた瞬間を、作品として見たような気がした。まるでそれは不自然な死体のようだった。死んでいるのに、生きていて、生きているのに死んでいた。不自然に歪んだ「同じ記憶(内容)」が100回程度繰り返され、そのどれもが「違う文章」で描かれていたのだ。それは苦しみに執着する底の無い狂気であった。私は、怖いと思い、あの電話の女性のように、叫べそうな気がしていた。そしてその恐怖は現実世界に居る他人の名前になり、ずっと私の頭の中に、心臓の中に、留まり続ける事になったらしい。その恐怖がいつの間にか、TVに浮かぶ人間の名前の中に消えていったりすれば良いのに、と思う。知らない名前の中学生が死にそうになっていたが、私の他人であった。私の頭や心臓から離れない「執着する恐怖」が、彼女の名前に塗り替えられてしまえば良いのではないだろうか?と思ったのだ。

 

「時々、他人の多数が、社会の一つに見える事がある。傷付けられた他者は別の人であっても、同一の人間に傷つけられる様な、、、そういう感覚がある。大きくて恐ろしい存在がずっと側にいる。その存在は私以外の他者全員が含まれていて、バイト先で嫌な事を言われて傷ついた事も、幼い頃親に言われた酷い言葉も、全てがその大きな存在から、同じ所から、向けられた凶器に感じる。だから、本当はその大きい存在からたった一人だけを引っ張る事がずっとしたくて、そうするにはまず大きい存在の中がどうなっているのか探る必要があるから、私はずっと線路の上で待っている事にした。でも待っていたら大きな恐怖が目の前から迫ってきて、だから急いで逃げたの。」

 

恐怖や執着を向けられながら、一体何処へ逃げたのだろう?私は居場所が無いから初めから何処にも逃げることが出来ない。それなのに居るべき場所を探す時にはいつも何かから逃げるみたいに早歩きで、焦っているから人が見えない。すれ違った人の存在も、聞いたはずの言葉も、何も覚えていられなかった。まるで天国みたいだ。会えない誰かの気配の中で永遠に一人きりでかくれんぼをしている。しかしそれは、吐き気のする勘違いで、私は、誰もいない場所で、誰かに見つけられる可能性もないまま、永遠に一人でかくれんぼをしているのかもしれない。会えない誰かの気配など無く、多数の死体の気配だけに囲まれ続けているような気がする。そこから抜け出そうとして少し歩く。そうすると予想もしない所で他者を見つけ、見つけられる。死体よりも怖い他者が其処で待っている。それでもなお、私は天国が混ざり合う境界を求めている。天国に堕ちたい。怖いくらいに幸せになりたいのだ。

 

 

DOWN TO HEAVEN

DOWN TO HEAVEN