ドッペル原画展

玲音

 

1話

少女が生きる世界はとても閉鎖的で現実感の無いものだと分かる。滲む文字や奇妙な色に染まる道路、目障りな周囲の声、噎せ返るような退屈さ。少し空想的なところがある(あるいは霊感や超能力)。その退屈さは生きることへの疑問や人間関係における自己の在り方から芽生えることもあるのだろうと思う。少女はそういった悩みを抱えやすい思春期であることが分かるが、少女の世界の見え方が歪んでしまったのは思春期が要因だけではない気がした。しかし歪んだ視界は明らかに彼女の生気を奪い、死へ引き寄せられながらも生に固執するアンビバレントな状態を与えている。同級生の死へ引き寄せられながらも、死に対する恐怖、トラウマを感じ、自身の喪失、日々への疑問を常に問い続ける。何かに対抗するように彼女は別の世界を探しているように思えた。それがプログラムの中にあるもう一つの世界=ワイヤードである。

 

2話

意識が加速する、というセリフのあとに音楽は減速したのが印象深い。少女は歪んだ視界の中、人との関係は希薄であるにもかかわらず「人は皆繋がっているのよ」というようなセリフを力強く発する。また、殺人者の男は「少女が殺せと僕に指示したんだ」というような思い込みをする。もしかしたら少女はどこかの世界の誰かにとっては神様のような存在であるのかもしれない。現実感のない現実より、現実感のある非現実が少女の生きる場所なのだ。

 

3話

ワイヤードとリアルワールドの乖離が見えはじめる。ワイヤード内の自分の存在が大きくなり、リアルワールドでの自分の存在価値が薄くなっている。ワイヤードはリアルワールドで感じる孤独は癒やしてくれない。だからこそ、孤独は深まっていくのではないだろうか。たった一つの救いですら現実には届かないのだから。

 

4話

osを改造して少女は人が変わったようになり、景色に原色が色づき始める。2話で語っていた「人は皆繋がっている」とは反対の「人は繋がってなんかいない」という言葉があり、孤独は増している印象。少女の「人と繋がりたい、繋がれない、繋がれてなんかいない」という感情の揺らぎは、孤独感の強い人間に多いものではないだろうか。ワイヤードの世界で繋がった人同士の世界がコピーされたように現実にも広がり、現実でワイヤード上と同じコミュニケーション方法を取ることでリアルワールドを汚染している。(現実の中でゲーム的な戦いをしたり架空のピストルで撃ったりする様子)。世界の区別がつかなくなっているのだ。一つの救いであったワイヤードが、現実に届いた瞬間である。しかしそれは救いではなく破壊に変貌する。

 

5話

「もう進化できない人間の限界を超え、さらなる進化ができる場所がワイヤードである」「ワイヤードはリアルワールドの上位互換である」と神様は少女に言う。しかしワイヤードのデータプログラムのせいでリアルワールドの事故が起こったことから、ワイヤードは「リアルワールドを汚染し脅威に晒す場所」でもあるのだと分かる。それを無意識的にも起こしたのが少女である可能性が高い。つまり、故意的に、間接的に、ワイヤードからリアルワールドを侵すことが出来るのだ。その事件が起きてから少女の姉もリアルワールドの風景に違和感を覚えるようになる。その原因は、身近に感じてしまった死や他人からもらった不吉な言葉、そしてリアルワールドでのコミュニケーションにおける「孤独」からと言えるだろう。この時点で、ワイヤードは現実まで届く完全世界に変わりつつある。救いとして届くのではなく脅威として届いたのだ。そして現実は現実から離れていく。現実が現実から遠ざかるというのは、人間の肉体が魂から遠ざかるという「例え」の一種であるように思える。

 

6話

ワイヤードの中に入り込んだ少女は声を発さず意識のみで他者と会話をしている。少女はワイヤード内でも自身の肉体をメタファライズして入り込むことができ、価値の高い、所謂神様に認められた存在である。少女はハッカー集団「ナイツ」と関わり、その集団が自分の居場所だと感じるようになる。現実から離れた居場所を見つけるのと並行し、ワイヤードの中では良くない動きが起こっていると少女は知る。

 

7話

少女はワイヤードの中から抜け出そうとし「ワイヤードに居る私は本当の私じゃない」という感情を抱くようになる。しかし「リアルワールドなんて全然リアルワールドじゃない」という気持ちも残る。物語全体には「ワイヤードとリアルワールドはリニアで繋がっている」「肉体が無くても存在できる」という考えがあり、少女は物語全体に惑わされワイヤードとリアルワールドの間で揺れている。そして、少女が仲間だと思っていた「ナイツ」は少女を操作し、子供たちを危機に晒す集団だったのだと知る。ワイヤードの中で、少女の存在が自身の意志と異なる形で大きくなり、他人に操作されていたのだ。誰かの悪意が一つの大きな意思を持った塊になり、少女へ帰依しているように感じる。帰依された少女は「ワイヤード内にしかない人格の少女」である。ワイヤード人格を持った少女が、リアルワールドに降りてくれば、リアルワールドの少女とワイヤードの少女との境界線が無くなる危険性がある。それは、現実や肉体といった常識を覆し、何もかもの存在さえ壊すことに繋がるのではないだろうか。

 

8話

少女は現実世界での「本当」が何であるのか分からなくなる。自分の知らない自分が、潜在的な意識を持ちワイヤードの世界で無意識に何かを引き起こしている。しかし、その潜在的な意識は本当に少女のものなのだろうか?他者の悪意が意思を持ち、空っぽの少女の内側に入り込んでいるのかもしれない。ワイヤードの中に入り込んだ個は全体に繫がり、同一化していく。同一化した全体が、ワイヤードに存在する少女そのものなのだ。少女はワイヤードの自分(全体)vsリアルワールドの自分(個)になっていく。

 

9話

人間の無意識は宇宙と交信し、別人格を作り上げていると論じた。つまり、宇宙であるワイヤードが多くの個から無意識を取り込み、そこで作り上げた別人格が少女そのものであるのだと解釈できる。リアルワールドに居る少女と、別人格の少女。しかし、少女はそれを否定する。「私はひとりしかいない、私は私である」と信じている。少女はワイヤード上で他者の無意識を繋げ「全体」になったのに。ワイヤード(全体)とリアルワールド(個)の2つの世界に居る自分存在を整理できず、混乱はなお続いている。

 

10話

死は肉体を捨てただけのものであり、ワイヤードの中でなら永遠に存在し続けられる。一人一人の存在が全体に溶け込んでいるからだ。誰もの永遠を補完するワイヤードは、アノニマス的な存在であり、意思を持った神になり得る。ワイヤードの中に溶け込んだ個は神の記憶を持てるのだ。「ワイヤードはリアルワールドを補強する存在でなければならない」と考える世界はもう侵食された。「ワイヤードはリアルワールドであり、リアルワールドを超える神であるべき」だからだ。その神は、ワイヤードを作ったのは、もしかしたら少女自身なのかもしれない。

 

11話

ワイヤードの自分(全体)vsリアルワールドの自分(個)は続くが、リアルワールドから遠ざかる自分を拒否し始める。どちらの世界にも引きづられ、境界線を破壊する。しかし、少女にも愛があった。埋め込まれた記憶の懐古によって愛を取り戻そうとする。「人間らしさ」「リアルワールドでの存在」を取り戻し、たった一人の愛する友人を救うため、過去を書き換えることにする。しかし、そんなことができるのは少女が機械に組み込まれた、肉体を持つソフトウェアだからだ。

 

12話

肉体は機能を言語化する。肉体が機械であるという物理的な制約、しかしそれが進化を止めている。そのために本当の姿を知る必要がある。つまり、肉体を捨てる必要がある。より力を大きくして進化するために、集合・全体化・同一化・一体化を物語は目指した。それこそが、人を繋げるために引き起こしたワイヤードなのだ。やはり少女は故意的にインターネット内で人の意識を繋げ、集合的無意識を意志にしようとしたのではないだろうか。そうして蓄積された情報は共有すればそれは意味の無いただのデータでしかない。すべてをデータにし、進化をする。そのような、多くのデータが蓄積されたワイヤードに肉体を与えた存在が少女なのだ。少女は「私が沢山居た」のではなく「沢山の人の中に私が居た」のだと言う。それは、全体そのものである少女の意識が、溶け込んだ個それぞれにインプットされていると解釈できるだろう。しかし、ワイヤードを作ったのは初めから肉体を持つ「人間」である事実から、ワイヤードは所詮人間の下に生まれるものであり、神になりえないものだという主張が生まれる。「ワイヤードはリアルワールドの上位互換である」のは、間違えた考えだったのだ。

 

13話

たった一人の友人の為に、自分の存在を全て無かったことにしようとプログラムをリセットする。少女はワイヤードの世界で人々と繋がりたいという気持ちがあったと思うが、肉体を持つことでリアルワールドに存在でき、ワイヤードの世界とは違った友人への愛を感じることが出来たのだ。少女は世界に初めて存在した肉体を持つプログラムであり、それがどのように成長し、形を変えていくのかを人間が実験していたのではないだろか。あるいは元々肉体を持つ人間であったが、現実で生きるのは難しいから別の世界で違う世界を生きようとプログラミングされた人間なのかもしれない。どちらの存在であろうとも、少女は世界をリセットし、皆の記憶から存在を消した。存在が無くなれば、今までの物語も無い。反対に、リアルワールドにいる人間の過去や未来に「記憶」を埋め込めば、その存在は始めから在ったものとなる。肉体の複製、記憶を埋め込み蓄積させることで変わる現在。「記憶にない人は最初からいなかった」というセリフはまさに、「過去を変えれば今は異なる」を意味している。ワイヤードの世界であれば、それが実現できるのだ。また「記憶は過去のことではない、今のこと明日のことも記憶である。」というセリフは、「未来を変えれば今は異なる」も意味しているのではないだろうか。

 

serial experiments lain

この物語は何を伝えたかったのだろうか。人間が人間ではない何かに成り果て、意思を持ちエゴを抱く物語や、同じ条件下で何度も世界を繰り返す所謂エンドレスリピートアニメ、ループアニメはこれまでも多くあった。そのようなアニメの魅力として、①人格を超えて芽生えるエゴへの共感②ループを繰り返すうちに成長する主人公③ループから抜けだけないスリルと恐怖/ループから抜け出せたときのカタルシスが挙げられると個人的には思う。しかし、このアニメでは具体的なカタルシスが無く、結局「カタルシスなんかなくて良い」という結末が残ったというのが最大の魅力であり、私が興味を持ったきっかけである。物語の最後をまとめると、

 

個人の思い出、共有されている無意識をつなげているだけのワイヤード(玲音)は、集合化した人の記憶を「リアルワールド」に繋げ進化を遂げようとようとしていた。しかし、蓄積されたデータはどこへ繋がるのかなんて分からなくて良いものなのだ。どこにでも流れるように偏在する、流れる、ただの概念になるべきなのだ。

 

というような考えになる。

玲音はこの1話から13話だけを過ごしているわけではなく、おそらくこれまでも何度もリセットを繰り返してきたのだろう。何度も繰り返してきた理由は、ワイヤード上で得た「他者との繋がり」「他者と共有した記憶」そのものを、どこかに繋げたかったからだと考えられる。それらの居場所を、いわば自分の居場所を玲音は探し、何度も繰り返し、失敗し、結局カタルシスを得られなかったのだろうと思う。

蓄積されたデータはどこにも繋がらない。それらは本来、肉体に保存されるべきであるのだと感じた。それは、人間がもつ心の機能を意味する。玲音の言葉は、心にしか留めることのできない記憶の暖かさを私に思い出させてくれた。人間のあらゆる感情がインターネットの海に流され、そのどれもがただのデータに成り果てる現代への警告でもある。データに成り果てた感情の居場所は何処にあるのだろうか?(何処にも無くて良いというのがserial experiments lainの答えであり問である)ビックデータに蓄積された行き場のないデータの死骸を想像すると、私は不意に悲しい気持ちになる。そのビックデータの中には私の記憶・思い出もきっと溶け込んでいるからだ。感情の置き場所を、記憶の保存方法を、もう一度見直したいと強く思った。

 

【現実と非現実の乖離】

本物の私はワイヤードには居ないが、リアルワールドは本当の世界では無い。本物の私がリアルワールドに居るとしても、そのリアルワールド自体を「本物」だと理解できなければどうだろう?本物の私が居るのに周りの環境や人生に疑問を感じる時、自分が今居る世界を本物だと認めることが出来なくなる。それは、人間に大きな苦痛と孤独をもたらす。こうして人間は現実から乖離し、非現実を夢見て、夢の中には肉体として存在出来ない自分との関係性から混乱をきたす。世界を汚染し偽物にするのは誰だろう?それは自身であったり他者であったり、言葉であったり、風景であったり、音楽であったりする。玲音の乖離の原因が何であったにせよ、私にも玲音の様に乖離してしまうタイミングが来てしまうかもしれない。そしてそのタイミングはとても身近にある気がするのだ。本物の自分が居る世界がどれだけ醜く、汚く、まるで偽物みたいであっても、どうか現実から遠ざからないように、心だけは無くさずにいることが現代には必要だと思う。

 

「きおくにないことはなかったこと

きおくなんてただのきろく

きろくなんてかきかえてしまえばいい」

 

という玲音の最後の言葉は、情報化によって人間が人間らしさを無くす恐怖と共に、情報化社会の希望も僅かに感じることができた。

肉体を持ったソフトウェアは、現代に現れたAIのことでもあるだろう。現代に現れた玲音は、私達をどのように繋げ、どのような社会を構築するだろうか?

その実験対象にされるのは、おそらく玲音ではなく、私達側であろう。

 

まだまだ書きたいことや書ききれて無いことがあるけれど、とりあえずここまで。serial experiments lainは解釈の余地が広く、また私にしかない解釈もある故、多くの人に開かれたアニメだと思いました。